新聞の品位を保つため「強姦」という言葉を使わなかった

だが、かつてはかなり性暴力の記事は少なく、しかも「いたずら」といった、被害の深刻さが全く伝わらない言葉が新聞の紙面では使われていた。「強姦」は使用禁止だった。調べていくうち、別に人権に配慮したわけではなく、新聞の「品位」を保つこと、かつ不快感を与える用語は使わない、というのが理由だと知って、河原氏はショックを受けたという。

今も大きな変化は起きていないが、当時も社内の編集幹部は全員男性だった。「妻が言っていたけど、電車で女性の痴漢ちかん被害が多いって本当?」。先輩男性記者から真顔で質問された時代だった、と河原氏は言う。痴漢を含む性暴力が常習的に起きていることを知らない人たちばかりで紙面を作っていた。その結果、「性犯罪は伏せるのが一番。それが被害者のためでもある」と信じ込み、記事にしないことを正当化する空気があった。

そのため、河原氏が1996年に性暴力について最初の連載をしたときは、編集局内に人が少ない、つまり「載せるな」とストップをかける人が少ないと思われる週末をわざわざ狙って、連載を開始したというほどだ。

日本記者クラブ「ジャニーズ問題から考える(3)性暴力報道の行方 河原理子・東京大学大学院特任教授、元朝日新聞記者 2023.6.22」

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性加害でも「シモ」の話は記事にすべきではないという空気

「被害者のため、といったきれいごとじゃない。単純に『下半身』の問題なのでふさわしくない、という意識があった」。2023年3月に配信された朝日新聞ポッドキャスト「ニュースの現場から」で、MCの神田大介氏もそう指摘している。地方支局にいたとき男児が被害者の性犯罪事件が起きたが、記事にはしなかった。この件だけでなく、被疑者が犯罪行為の後に自慰行為をしていた場合も、その部分は伏せたという。理由はやはり「下(しも)の話」だから。

新聞社内に、性暴力について積極的に書くのを好まない雰囲気が存在していた。でも、それは新聞の「品位」や被害者への配慮だけが理由だったのだろうか。河原氏が最初に性暴力の連載を始めたとき、地方支局にいた若手の女性記者に「こういう記事って書いていいんですね。でも今私はやりません。にらまれるから」と言われてショックを受けたという。

性暴力は、男性が加害者、女性が被害者のケースが圧倒的に多い。女性の就労差別の件でもそうだが、広義の男性を批判する記事を女性記者が書くと、男社会の新聞社内で風当たりが強くなることがある。

男性記者の中には時々、「朝、食卓で家族の前で広げる新聞に、性暴力の記事が載っているのは、いかがなものか」といった考えを口にする人がいる。でも、なぜ殺人やテロの記事は良くて、性暴力の記事だと問題になるのか、疑問だ。被害者の憤りや苦しみに寄り添うというより、興味本位で見ているという認識があるような気がする。