今では超有名になったタレントも証言者の1人だった

しかし、権力を利して性的虐待を行うのは、まさに典型的なセクハラであり、当然ながら、セクハラは個人だけでなく、それを許す土壌を持つ組織、会社も犯罪に問われるということは知っていました。

文春社内でもセクハラ講習は行われていました。文春もあまり自慢できる環境ではなかったので、当時の女性社員などは、私のこの記事を読んで不快に感じるかもしれません。もちろん、文春社内のセクハラは、実際に性的虐待があったということではなく、あくまでも環境型セクハラ、つまり言葉の暴力によるものではありましたが。

また、書き手となった社員記者は、以前、あるセクハラ関係の記事で裁判所から厳しく尋問された経験があります。ある大手出版社のオーナーの息子が社内の部下に(これも当時の言葉で言いますが)、「ホモセクハラ」をしたという記事で、その大手出版社から、少年のプライバシーを中心に厳しく法的責任を問われたことがありました。

それもあって、ジャニーズの件についてはきわめて慎重に取材したと思います。彼は文春のなかでも、かなり慎重派で、私のように告訴を20件以上受けるなどということのない、名編集長となった男です。

新社名発表の記者会見。1999年の週刊文春の報道当時の証言者には、いまでは超有名になった少年もいたという。
撮影=阿部岳人
新社名発表の記者会見。1999年の『週刊文春』の報道当時の証言者には、いまでは超有名になった少年もいたという。

取材は3カ月以上に及んだと思います。セクハラ以外の労働条件などの取材も含まれますが、証言者のなかには、いまでは超有名になった少年もいました。また、単なる被害者とは言えず、ジャニー喜多川に気に入られたいがために自ら近づく少年も大勢いました。だからといってジャニー喜多川が許されるはずもないのです。

合宿で襲われた話を聞けば、同じ大きさの部屋を用意して、その場所に誰が寝て、この場所にいた誰かが襲われ、その場所から襲われたことが認識できるかという実験まで繰り返して、記事化しました。

キャンペーンの最初は、OBの元フォーリーブスの青山孝史からの情報による記事だったので、ジャニーズ側からの反応もそれほど厳しかった記憶はありません。しかし、キャンペーンが何回も続くと、ジャニーズの弁護士からは警告文や電話が次々と来るようになります。

その時点でチームのデスクは木俣。それ以外に社員3名、フリー2名というチーム構成になっていたと思います。それぞれ得意分野を持ち、何よりも粘り強く被害者に証言させる能力を持ったチームでした。

記事が出ると、「自分も告発したい」という少年が続々と現れました。そして、ジャニーズ事務所側からは、すさまじい嫌がらせが始まったのです。(後編に続く)

(協力=今井照容)
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