最初の証言者はNHKの前で割腹自殺

T氏にはテープを何本も録るほどインタビューしましたが、たった一人の証言で記事にできる類いの問題ではありません。T氏の話はまだプランとしても編集会議に出しておらず、他に証言者を探して記事にできないか、周辺取材を始めました。ところが、そうしているうちに彼は、NHKの前で割腹自殺をしてしまいました。

T氏は『週刊文春』に証言したことで深く悩むようになった可能性もあります。自殺に追い込まれるほどの葛藤に気づかなかったのは私の不注意にも思われて、自責の念にかられながらも、もっと確たる証拠がほしいと新たな伝手をたどりはじめました。

ジャニーズの性加害問題を大メディアが取り上げるのに、24年がかかった。
撮影=阿部岳人
ジャニーズの性加害問題を大メディアが取り上げるのに、24年がかかった。

ちょうどそのころ、部下の一人(彼が結果的にキャンペーンの書き手になります)の元には、ある媒体の記者を通じてジャニーズジュニアについての告発が寄せられていました。

記者のニュースソースは水商売の女性たちで、いまのキャバクラ嬢とホストクラブの関係と同じように、女性たちは仕事が終わるとその手の店に行くらしく、ホストのような仕事をしていたジュニアたちから、いろいろな話を聞いたそうです。それは、セクハラだけでなくジャニーズ事務所の待遇全般に及ぶ話でした。そしてその実情は、少年たちの将来を考えるとあまりにもかわいそうだというのが話の骨子でした。

また別の記者は、喫煙問題でジャニーズをクビになった少年を編集部に連れてきました。ジャニーズを突然解雇され、この先どうしようかという相談を、知人を通して受けていたのです。

T氏を含めて大体この三つのルートの証言からキャンペーンを開始することに決めました。

ただ、猟奇的に思われるであろうジャニー喜多川による少年たちへの性的虐待だけを、最初からキャンペーンの中心に組むつもりがあったわけではないのです。性的虐待はたしかに猟奇的でしたが、当時の文春読者になじむものではなかったし、立証もむずかしい。それに、猟奇的である一方、当時は新宿二丁目あたりに行けば「オカマ」と呼ばれたホストがいて客をもてなしており、男性の芸能人も頻繁に客として出入りしていたと言われており、芸能人=同性愛でもそんなに不思議はないというのが、(われわれではなく)世間のなんとなくの常識でもありました。