1999年、『週刊文春』でジャニーズ「性的虐待」の告発キャンペーン報道が始まると、ジャニーズ側からの想像を絶する嫌がらせが始まった。双方の話し合いも決裂。『週刊文春』元取材班デスクが語るジャニーズとの激闘の24年史。後編は、ジャニーズの強大な権力とその圧力の実態――。
ジャニー喜多川氏のお別れの会に集まった大勢のファン(=東京都文京区の東京ドーム、2019年9月4日)
写真=時事通信フォト
ジャニー喜多川氏のお別れの会に集まった大勢のファン(=東京都文京区の東京ドーム、2019年9月4日)

芸能事務所とは思えない下劣な脅迫

ジャニーズ「性的虐待」問題を報じた『週刊文春』は、さまざまな嫌がらせを受けました。

ある既婚男性記者の自宅には、あえぎ声の女性から執拗しつような嫌がらせ電話があり、それを記者の奥様が聞くこともが何度もありました。私たちは、ファンからのものと考えました。

社の上層部にもジャニーズ事務所からの圧力がかかりました。キャンペーンの途中で、ジャニーズ事務所として何を改善したら、文春はキャンペーンをやめてくれるのかというあっせんが持たれたこともありました。

会談は毎週一回。文春側の代表は木俣。ジャニーズ側の代表はスマイルカンパニーの社長でもあった小杉理宇造りゅうぞう氏。近藤真彦と中森明菜を別れさせたことで、当時の芸能誌やワイドショーをにぎわせた人物です。

最初、文春に近いホテル・ニューオータニで文春が部屋代を持ち、次は、ジャニーズ事務所に近い全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル東京)でジャニーズ持ち、というスタイルで、話し合いを続けました。未成年のアイドルたちの飲酒・喫煙・深夜労働については改善策が語られますが、ジャニー喜多川による性的虐待については確たる改善策が提示されません。

これでは話し合いの意味がありません。そのうち、とんでもないことをジャニーズ事務所は行いました。ジャニーズ側の全日空ホテルで話し合いをしている最中に、ある圧力団体の人間を入室させてきて、とても芸術を仕事とする事務所とは思えないような下劣な脅迫を始めました。この件で、和解の流れは消えました。編集長の松井清人は、脅迫されたと怒り心頭です。キャンペーンをどこでやめるかという話はなくなりました。この時点でジャニーズ事務所には、法廷闘争しか選択肢が残らなかったのです。一方、私たちは、話し合いが決裂して法廷闘争になることを、あらかじめ想定して準備をしていました。