ジャニーズ問題と民主主義の後退の現状はよく似ている
かつて「一億総懺悔」という言葉が戦争直後に叫ばれました。ジャニーズ問題のいまを見るにつけ、私はあれを思い出すのです。
戦時下の教科書をいきなり黒塗りにして、軍国主義と真逆な平和や人権を教え出す「民主主義」教師。隣人を万歳三唱で戦場に送り出していたのに、終戦後は、東京大空襲の被害者としてのみ自らを語り、急に平和国家を目指すと言い始める、かつての愛国婦人会の人々。
そこに本当の反省がなかったことは、明らかです。その時代から見ても民主主義が後退したかのような、いまの日本社会の惨状にそれがはっきりと表れています。女性進出は後退(女性国会議員数は当時の方が多い)し、教育者はパワハラ化し、国会議員は世襲化しています。戦前と変わらない社会に後戻りしている感さえあります。
いま私たちが、ジャニーズ問題をひとごとではなく切実に捉えるにはどうすべきなのでしょうか?
私は、何よりも、ジャニーズファンの女性たちに言いたいことがあります。
報道側やMCたちは、いかにも良心めかして、「タレントに罪はない」と言います。果たしてそうでしょうか。欧米の#MeToo運動は、自分のイメージが傷つくことも恐れず、社会と闘った女性たちが切り拓いた活動です。
いまジャニーズの現役アイドルが被害者として声を上げ、それを女性ファンが応援するという姿こそが、社会を変える本来の姿ではないでしょうか。ところが、セクハラを受けたまま泣き寝入りし、事務所の力でアイドルであり続けようとする男性タレントたちを、女性ファンたちが憧れの目で見ているのが現状です。この状態が続くかぎり、民主主義は後退し続け、日本での男女平等は勝ち取れないし、日本人が本当の人権感覚を身につけることはできない。私はそう思います。
ジャニーズファンも勇気をもって、大好きなアイドルに向かって、「アイドルたちは性被害を告発すべきだ」と主張し、「そういうあなたであるからこそ、私たちはファンなのだ」と言うべきなのです。それが真の意味でのアイドルへの愛ではないでしょうか。メディアによる、真実味にまったく欠ける「反省」よりも、現役アイドルの告発と、それへのファンたちの支援が、日本を変えていくと私は思っています。