メリー喜多川インタビューがSMAP独立のきっかけに

それから10年以上たって、メリー喜多川インタビュー事件が起こります。編集部としては大それた記事になる予感はなく、どうせ取材は断られるだろうというくらいの気持ちだったようです。「ジャニーズには嵐派とSMAP派が存在するのではないか」という取材班の思いつきの質問状に、ジャニーズ事務所から取材に応じると回答がきたこと自体、驚きでした。

行ってみると、役員会さながらにジャニーズ幹部がずらりと座っています。その場にSMAPの飯島三智マネージャーが呼ばれ、メリー氏が飯島マネージャーを「あなたは独立するつもりなのですか?」とキツい調子で詰問し、同時に、メリー氏は独立説を否定しました。挙げ句の果てにはメリー氏の「SMAPはジャニーズの中心になれない。だって踊れないでしょ」という一言が出たのです。

呆気にとられながらも、全部書いていいと言うので、取材班は書いたわけですが、案の定、SMAP側は大変怒ったようです。ここから、SMAP独立に向けての大きな動きが始まるのです。

その記事が掲載された直後、木俣ほかの編集幹部という名指しで、メリー氏が文春にやってきました。同席は新谷学編集長、文春デスク、ジャニーズ側弁護士でした。

大メディアが、もっと以前に報道するチャンスはいくらでもあった。
撮影=阿部岳人
大メディアが、もっと以前に報道するチャンスはいくらでもあった。

メリー氏は、過去の文春報道を「卑怯な取材で隠れて写真撮影なんてしないで、堂々と取材を申し込みなさい」などと罵倒します。文春と名乗って取材をしても受けてもらえないから、私たちは、尾行や張り込みをせざるをえなかったのですが。さらにそれ以前の文春との関係(メリー氏の夫の作家・藤島泰輔との関わりなど)を話すなど、5時間ほど会話して帰っていきました。

過去の文春記事を訂正してほしいというのが来訪の趣旨だったようで、本質に関わるような訂正ではなかったので、修正案を提示しましたが、その後どうなったかの記憶はありません。

メリー氏は2日続けて来訪しましたが、乗り付けてきた車が金色のリムジン。いったい誰が来たのかと、文春を訪れていた他の来客までもが、駐車場に停めてあるリムジンの写真を撮っていくという場面もあったようです。

それから約半年。SMAP独立の話が現実性を帯びてきます。噂が出た時点で、小杉氏から呼び出しがあり、これについてメリー氏の手記は文春でやりますという話だったので、新谷編集長にそれを伝え、デスクと小杉氏を会わせましたが、最後になって、メリー氏が文春に出るのはどうしても嫌だと言い出して『週刊新潮』に手記が掲載されました。悪いと思ったのか、その代わりに小杉氏が『週刊文春』でしゃべっています。私も編集部には申し訳ないことをしましたが、メリー氏の固い意志だったので、こればかりはどうにもなりません。