柿生家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

柿生さんの父親は、自分の兄にあたる長男が早くに亡くなったため、農家の後継ぎとして厳しく育てられた。それに反発するように、父親は学校などで問題を起こし、一族の反対を押し切る形で結婚。戦前や戦後間もない時代なら珍しくはないことかもしれないが、父親の両親も一族も、古くからの慣習のまま思考停止し、短絡的思考に凝り固まっていたと言わざるを得ない。

一族の反対を押し切って結婚した両親は、一族から村八分状態になり、孤立した。また、母親はフィリピン人であるため、日本人の親しい友人知人はほとんどおらず、母親は一人で電車に乗ることもできなかったという。そんな柿生家は、社会から孤立していた。唯一祖母だけが一族や地域との架け橋となり得た存在だったが、両親は祖母を邪険にしていた。そして「母はクソ」と言い放つ柿生さんは、少なくとも取っ組み合いのケンカをするようになった頃には、母親の存在を恥ずかしいと感じていた。

「私は4歳で高機能自閉症と診断された後、小3で発達障害グレーゾーン、祖母を亡くした後、ADHD+適応障害。現在は発達障害フルコースの自閉症スペクトラム(注意欠陥と自閉症傾向が特に高い)+双極性障害と偏移し、精神障害者福祉手帳2級判定です。『よく公務員を3年もできましたね』と医師から言われたとき、悔しくて悲しくて仕方がありませんでした。最初に高機能自閉症と診断されたときにそれ相応の療育支援を受けていたら、現在は違っていたかもしれない。両親は、医療ネグレクトに近かったように思います」

以前、常にわめき散らす母親の電話に耐えきれず、母親を着信拒否にし、LINEをブロックした直後、妹から「お母さんに連絡するように」という趣旨のLINEが来た。

「あ、こいつは母親の味方なんだなと解釈して、即ブロックしました。妹は大事にされていましたからね。両親は、人を平等に扱えない残念な人だと思います。今は両親のことを聞かれるたびに、『見事に親ガチャ失敗してSSR級(超レア)の毒親にぶち当たってしまったけど、脱出に成功した』と、最近はやりのなろう系ラノベ風に言っていたりしています。逃走した頃は、『やっと恐怖と別れられる!』という安心感が強く、調停を申し立てた時は『初めて親に逆らえる。2人仲良く首根っこ洗って待ってろよ!』と息巻いて家庭裁判所に行ったくらいです」

裁判所の銘板
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです

柿生さんは調停成立後、妹宛に“両親に何かあったとき用のエンディングノート”を送った。現在お世話になっている親族たちに、「もし、父親に何かあったらどうするのか? あの母親では話にならないのではないか?」と言われたため、どうするべきかをまとめて記したものだ。

半ば強引に親との縁を切った柿生さんを責める人もいるかもしれないが、こうでもしなければ、今以上に柿生さん自身や柿生さんの人生が壊れていたかもしれない。祖母が亡くなった直後に、柿生さんがメンタルバランスを崩したのも偶然ではないだろう。

ただ、親族たちがもう少し早くに手を差し伸べてくれていたら、柿生さんの人生は違っていたのではないかと思えてならない。非力な子どもを救えるのは身近な大人たちであることを、私たち大人は忘れてはならないと思う。

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