一度は義実家を出てアパート暮らしをしていた5人家族だが、再び義実家で暮らすことに。すると、長男嫁である看護師の女性は3人の育児に加え、認知症になった義祖母や義母、がんに罹患した義父などの介護を一手に引き受けざるをえなくなった。味方だったはずの夫も最近はモラハラが目にあまるようになり……。女性はいつ爆発してもおかしくない臨界点に達している――。
顔を手で覆って泣いている女性
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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前編のあらすじ】中国地方在住の七瀬信子さん(仮名・50代・既婚)は19歳の頃、共通の友達の集まりで5歳上の金融系企業に勤める男性と知り合い、翌年結婚。当時60代後半の義祖父母、40代後半の義両親の義家族と完全同居になった。3人の子を産み育てていたが、特に義祖父ととことん意見が合わず、陰で嫌味を散々言われた。狭い部屋、プライバシーゼロの劣悪な環境で堪忍袋の緒が切れた七瀬さんは、子どもたちを連れて実家に帰った――。

義実家に戻る

七瀬信子さん(仮名・当時27歳)が義実家を出てから8年後。子どもたちが大きくなり、アパートが手狭になったため、新しく家を建てようかと夫婦で考え始めていた。その頃、七瀬さんとずっと関係が悪かった義祖父が亡くなったため、義祖母と義両親が、七瀬さんが結婚当初に同居していた義実家に「戻ってきてほしい」と言い出した。七瀬さん35歳、長男14歳、長女13歳、次男11歳になっていた。

「私は絶対に戻りたくなかったのですが、5つ上の夫には、『長男だからいつかは戻らないと』『長男だから親の介護もしないといけない。近くにいたほうがいい』。義祖父のあとを継いだ義父には『土地はやるから』と言われ、渋々でした。義祖父が亡くなってから、義祖母が義母から嫌味を言われていたので、かわいそうだと思ったのもあります。結局は諦めですかね……」

ただ、元の義実家に戻ることは子どもたちも渋った。自分たちの部屋が欲しかったが、そのスペースはなかったからだ。そこで、義実家を建て替えることを条件に戻ることにした。

「夫からは、『土地代はタダなんだから、その分、立派な二世帯を作れば良いじゃないか』と言われましたが、役所で聞いたところ、義実家のあるエリアは市街化調整区域で手続きが大変だと言われ、二世帯にすることができませんでした。頑張ればできたのに、あの当時忙しくてなかなか調べることができませんでした。後悔しています」

それでも、キッチンは1つだが風呂とトイレは2つ作った。義両親には、「義弟、義妹の部屋も作れ!」と言われたが、七瀬さんは、「結婚して出て行ってるのだからいりません」ときっぱりと断った。

1階は、LDKと2間続きの和室。1部屋は義祖母の部屋。もう1部屋は義両親の部屋。

2階は、七瀬さん家族専用のリビングと夫婦の寝室、そして子ども部屋を3部屋作った。