現在30代の女性は、フィリピン出身の母親が育児を放棄していたため、祖母に育てられた。女性は4歳の頃、高機能自閉症と診断されたが、母親はケアしないだけでなく、陰湿な虐待や罰をわが子に与え続けた。祖母が認知症になると、中学生の女性がすべての世話をするヤングケアラーになった――。(前編/全2回)
逆光になっていて顔が見えない女性
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ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

反対を押し切って結婚した両親

北陸地方出身、東京都内在住の柿生初音さん(仮名・30代・独身)の父親は、昭和25年生まれ。稲作をする自作農の次男に産まれたが、長男が早くに亡くなったため、跡継ぎとして厳しく育てられた。そのせいか、父親は勝ち気で頭に血が上りやすい気性の荒い子どもに成長。中学くらいの頃から頻繁に問題を起こしていたため、地元では知らない人がいなかった。親に反発して農家を継ぐことを拒み、工業系の専修学校に進学した後、溶接などを行う工場を経営していた。

やがて、40歳を過ぎた父親は知人に誘われてフィリピンパブに行ったところ、その店の歌姫であるフィリピン女性に一目ぼれ。父親は猛アタックし、交際に発展する。彼女は9歳年下。フィリピンのラジオ局でアルバイトをしていた頃、たまたま歌声を聞いた日本人の音楽プロデューサーに歌の才能を買われ、来日を勧められたのだという。

祖父(父親の父親)は父親が41歳の頃に糖尿病の合併症で亡くなっていた。そのため父親は、彼女と結婚したいと祖母(父親の母親)に打ち明けるも、祖母のみならず一族全員から猛反対にあう。理由は、金銭的な面で不安視されたからだ。フィリピン人であるうえに年齢差もあるため、「金を搾り取って本国に帰るのではないか」「詐欺まがいなことに巻き込まれるのではないか」という疑いが持たれた。

特に祖母にとってフィリピンは、太平洋戦争で激戦地として知られる“マニラ市街地戦”で自身の父親が戦死しており、いまだに遺骨すら戻っていないため、いい印象がなかった。さらに、女性にはフィリピンの実家に残してきた8歳の息子がいた。女性は離婚して引き取った息子を実家に預け、来日していたのだ。

「フィリピン人は圧倒的にカトリック教徒が多く、離婚はご法度です。なのでよっぽどのことがあったのだとは思いますが、母親は家に居づらいこともあって、日本に来たようです」

短気な父親にしては粘り強く祖母の説得にあたったが、一向に祖母は結婚を許さない。しびれを切らした2人は、既成事実を作ってしまおうと、強硬手段に出る。やがて女性は妊娠し、祖母は渋々結婚を認めることになった。

柿生さんが誕生したのは、父親44歳。母親35歳の時だった。

「『私は結婚のための道具として使われてしまった』という事実を知ったのは高校生の時。望んで生まれたのではなく、欲を満たすための道具でしかなかったんだとショックを受けました」

2年後に妹が生まれた。