要介護1の状態からわずか1年半経過した時には要介護4へ。40代前半で若年性認知症になった妻の介護度は急速に高まっていった。徘徊や上半身裸での外出、台所での排便といった行動が増える中、我慢強く献身的な介護で支える夫が語る、愛する家族が倒れた時の対処法とは――。
脳のMRI画像
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前編のあらすじ】関西地方在住の緋山青二さん(仮名・40代・既婚)は31歳の時に3つ年上の女性と結婚。妻は2人目の子を出産直後から「家に帰らなきゃ」など、よく分からないことをつぶやくように。検査の結果、若年性認知症であることがわかった。以後、緋山さんは仕事の傍ら、妻を見守り、2人の子どもの世話や幼稚園の準備や送迎などをする、ハードな生活が始まった。

テレワーク終了

2020年8月。息子が生後3カ月になったため保育園に入れようと思ったが、空きがなく入れられなかった。8月いっぱいでテレワーク(メーカー開発職)が終了する予定だった緋山青二さん(仮名・40代)が困り果てていたところ、9月からは若年性認知症である妻の実家が妻と息子を預かってくれることになった。

10月に息子は保育園に入園することができた。妻は平日週2回の訪問看護を受ける他に、週3回のデイサービスの利用を開始した。

この頃の緋山さんは、朝6時に起きて朝食と、週2回は娘の弁当を作り、7時に子どもたちを起こし、朝食。7時半に妻を起こし、着替えを手伝い、デイサービスがある日はその準備。7時45分に長男を保育園に、8時10分に長女の幼稚園に送って行ったあと、妻を見送り8時半に出勤。9時から17時45分頃まで仕事をし、30分ほどで帰宅すると、子どもたちを迎えに行く。デイサービスの日はヘルパーに妻の帰宅後の受け入れや夕食の下準備、洗濯、掃除を依頼していた。

19時ごろには夕食の準備をして夕食を食べ、20時ごろには片付けをし、20時半ごろには子どもたちを入浴させ、22時ごろまでには寝かしつけた。

まだこの頃の妻は見守り付きでなら、息子のおむつ替えやミルクをあげることができていた。

「発症してから悩んだのが、誰にどこまで言うかという問題でした。妻や私の友人にどう伝えるか。そもそも伝えた方がいいのかどうか。発症から3カ月くらいは積極性はないものの受け答えはできましたし、どんなペースで症状が進行するかもわからなかったので、『黙っておけば心配もかけない』という気持ちと、病気のことを伝える勇気もなかったので黙っていました」

しかし2021年6月に再び認定調査を受けると要介護1。より多くの見守りが必要とされ、デイサービスもヘルパーも平日5日に増加。このころから徘徊はいかいが増え、緋山さんの出勤後からデイサービスや訪問看護師が来るまでや、ヘルパーの帰宅後から緋山さんが帰宅するまでの短い時間でさえ、自宅からいなくなるトラブルが頻発する。

緋山さんは妻のスマホの位置情報をオンにし、それだけでは不安だったため、カバンにもGPSを仕込んでおくことにした。

「さすがにもう黙っていられない」と意を決した緋山さんは、まずは妻の一番の親友にメールで病気のことをありのままに伝えた。

「どんな返事が来るかとハラハラしていましたが、しっかりと受け止めてくれて、思わず泣いてしまいそうなほど温かい励ましの返信をもらい、妻が親友にいかに愛されていたかを実感しました」

緋山さんはその後、妻の友達数人に連絡をしたが、いずれも親身に聞いてくれただけでなく、緋山さんや子どものことを心配してくれた。

「現在はありがたいことに、妻の代わりに子どもの写真を送り合ったり、子育ての相談をしたりする“ママ友”みたいになりました。あとは私の友人たちにも伝えていかないとなぁ……と思っています」