※本稿は、ジョニー・トムソン(著)、石垣賀子(訳)『ひとくち哲学 134の「よく生きるヒント」』(早川書房)の一部を再編集したものです。
友情には、有用、快楽、善の3つがある
●アリストテレス――友情
ある人にはあの話を伝えたのに、もう一人には別の話をするのはなぜだろうか。人生のある時期を「私たち親友だよね!」とわかちあった相手が、ある日気がつくと離れてしまっていたりするのはどうしてだろう。
万学の祖、アリストテレスなら答えをもっているかもしれない。
偉大な著作『ニコマコス倫理学』には友情をめぐる記述が多くみられる。アリストテレスは理想的な究極の生活(エウダイモニア)によき友人は欠かせないと考えたためだ。同書では友情(友愛)を有用、快楽、善の三つに分類する。この中で最後の一つだけが真に求めるべき、何より大切にすべきものだという。
有用ゆえの友は、なんらかの目的にかなうがゆえの友だ。毎日一緒にランチに行く職場の同僚や、週末に趣味のスポーツで会うチームメイトが該当するかもしれない。転職したりチームを離れたりするなど、目的がなくなればつながりは薄れてゆく。
快楽ゆえの友は一緒にいて楽しい相手をいう。話がおもしろく、よく笑う。話題のミームはすかさずシェアし、笑いのツボを完璧にわかってくれる。閉店時間まではしゃいで踊り、夜中の3時に隣にすわってハンバーガーをかじってくれる。
でも年齢を重ねたり、生活が変わったりするにつれ、こうした友人はやがてだんだん疎遠になり、楽しかった記憶とノスタルジーの中で永遠に生き続ける。
善の友情が、最良の自分に導いてくれる
善ゆえの友人はあなたに幸せでいてほしい、いきいきと過ごしていてほしいと願う。「彼はあなたにはふさわしくないんじゃないかな」「その仕事のポジション、あなたなら絶対やれるよ」と言ってくれる。あなたの秘密を絶対に他言しないし、あなたが涙したときはそばにいてくれる。あなたを悪く言ったりせず、いつも信じてくれる。
こうした友こそ求めるべきであり、そのためなら戦い、出会えたのなら手放さないようにすべきだとアリストテレスは説く。
もちろん、一人の人が三つの要素を備えることもあれば、どれか一つにあてはまる場合もあるだろう。アリストテレスは有用な友や快楽の友が不要だとは言っていない。ただ、そうした性質の存在であることをわかっておくべきだと説く。
真に善ゆえの友には常に誠実をつくすことだ。そんな友の存在が、あなたを可能なかぎり最良の自分にしてくれるのだから。