「コロナ直撃世代」の若者たちが社会に出ていく
ご存じのとおり、新型コロナウイルスは今年5月から5類に移行した。それをひとつの区切りとして、世の中もこれまで感染対策の名目で行っていた各種制限を大幅に緩和もしくは解除し、2020年以前の姿を急速に取り戻している。「コロナ禍」と呼ばれた時代の終焉である。
それは大学も例外ではなく、これまで学内外での活動に一定の制限が課せられていた学生たちにも、ようやく「かつての日々」が戻ってきた。しかしながら、コロナによって失われた3年の影響は甚大で、2020年以降に大学に入学した学生のなかには、サークル活動に十分参加できなかったり、参加できたとしても課外活動はもちろん飲み会やコンパなどをほとんど経験しないまま今日まで過ごしてしまった人も少なくはない(全国大学生協連「第58回(2022年秋実施)学生生活実態調査 速報」)。
「新しい生活様式を守ろう」「不要不急の活動は控えて」などと騒いでいるうちに、あっという間に3年も経過してしまった。その間に先輩たちは卒業してしまい、口伝で継承されてきたサークル内のノウハウも断絶して、「作法」がそのまま消えてしまったという話もある。
いずれにしても、高校にせよ大学にせよ3年間を「コロナ禍」とともに過ごしてきたいわゆる「コロナ直撃世代」の若者たちが、いよいよこれから数年にかけて世の中に輩出される。そして私が「コロナ直撃世代」の若者たちの特徴について、企業でかれらを採用する側の人からしばしば見聞きしたのは、一見すると奇妙な感想だった。
曰く「ここ最近の若者は、優秀な人を見つけやすくなった」というのである。
学生が「わかりやすく二極化」してしまった
「優秀な人が増えた」ではなく「優秀な人を見つけやすくなった」という表現にひっかかりを覚えた。それはつまるところ、コロナ禍が学生の質をよくする効用があったとか、そういう話ではない。そうではなくて、「無気力な人間がもっと無気力な姿をするようになったおかげで、採用する側からもわかりやすくなって、以前よりもそういう人を直感的に弾きやすくなった」というのである。
ようするに、学生が“わかりやすく二極化”してしまったのだという。
コロナのせいで色々な制限を受けた状況においても、主体性やバイタリティや行動力がある学生たちは、ただただそれぞれが家にひきこもっていたわけではなかった。どうにか工夫して仲間とのアクティビティをつくりだし、できるかぎりの努力を尽くしていたことがより明確に分かるようになったという。若者の行動に厳しい目が向けられていた時期でも、むしろそうした制限を課せられていたことで奮起し、自分たちの頭で考えてやれることを工夫して、ポジティブに行動していた者は「見るべきところがある」と評価されたのだ。