日本全体が遅れているのではなくて、行政や行政にまつわる分野。たとえば、医療や公共交通などの特定のジャンルで著しく遅れているという、自己認識が大事になると思います。なぜ遅れているのかというと、ひとえに、新しいものを容易に受け入れないような土壌があるのではないかと思います。

技術革新(イノベーション)ではなく、“勤勉革命”で何とかしようとしすぎているのではないでしょうか。

「政府が悪い」と言うだけでは何も解決しない

技術でもっと生産性を上げることができるはずなのに、「技術革新は自分の仕事を奪うものだ」という思い込みにとらわれている人が少なからずいるからかもしれません。とくに、1台のタクシーを複数組の乗客が乗り合いで利用するライドシェアがいっこうに進んでいないことを目にするたび、働く人の根性でやろうとか、勤勉精神で何とかしようという風潮を感じます。怠けている人はいない、しかしがんばり方を間違っているのではないでしょうか。

あえて挙げるなら、競争環境がないのは一つの特徴といえるでしょうか。われわれがGAFAMと戦うとすれば、技術を用いて生産性を上げたり、付加価値を高めたりしなければ、顧客に選んでいただけません。しかし、行政にかかわる事業というのは独占状態ですね。1つの行政区には1つの区役所しかありませんし、公共交通も基本的には地域ごとに許認可事業で寡占状態のままです。医療・病院の業界にも競争原理が一応は導入されていますが、自由化というにはほど遠い。

競争がない、というのは、やはり大きな問題ではないでしょうか。単に行政が悪いというロジックで片づけるのではなく、競争原理がないという問題点こそ見ていく必要があるのではないか。競争原理が働かない結果、がんばり方を間違えるという悪循環に陥っているように思えます。

川邊健太郎氏
撮影=遠藤素子
これまで美徳とされていた勤勉さには頼れない。技術による課題解決の必要性を説く。

技術の力で日本を変えるしかない

物流業界が直面している「2024年問題」(※)は、わかりやすい変化のきっかけになると思います。

※働き方改革関連法によって2024年4月1日以降、自動車運転業務の年間時間外労働時間の上限が960時間に制限されることによって発生する問題の総称。

物流や移動にかかわる仕事に従事してきた人たちに依存してきた勤勉頼り一辺倒では、もはや駄目、ということになったわけですよね。「ちゃんと休みましょう」という世の中に変わり、働く人たちの勤勉だけでは人手は確保できず、社会生活が成り立たなくなる。それでようやく技術で解決するしかない、という流れになってきた。

もっと早く勤勉至上主義から技術革新へとシフトできていれば、トラックや公共交通の自動運転化は、より促進されたでしょう。それでも、2024年に問題が表出するまで追い込まれ、新しい方法でしか解決できないとなった結果、日本は技術革新を起こして前に進んでいくしかありません。