いままたインバウンドによる観光客であふれかえる日本でいっこうに進まないライドシェアについても、私はツイッターで発信しつづけてきました。

ただし、ライドシェアを推進したとしても、ドライバーの絶対数を必要とするのですから、それは過渡期的なことでしかありません。

公共交通は、とくに都市部より地方で、すでに深刻な問題になっている。それくらい切迫しています。よりAI化、自動化、無人化をどんどん進めていくしかないでしょう。このままわれわれ日本の最大の失敗に陥るのか、すんでのところで技術によって革新をもたらすのか、その瀬戸際に立っているのではないでしょうか。

規制は「悪」なのか

――自身のツイッターなどをはじめ、メディアで機会あるごとに、ライドシェア促進について提言するほか、批判を受けるのを覚悟したうえでの発言とわかるように、日本のDXを急加速させるためには、永田町や霞が関がしきりに強調する「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化」なるスローガンを取り下げるべきなのではないかと踏み込んできた。行政の規制にがんじがらめになっていると自他の声やまぬ日本の、横並びでゆでガエル状態になっている現在に、痛烈なる一石を投じた格好である。東京・渋谷の生まれ育ちながら、房総半島の南端である千葉・館山に移住したと公表し、都心でのハードワークとプライベートなスローライフを両立する日々を送りつつ、自らの被験者の視点も育んでいる――

少子化、人口減に高齢化、さらに生産年齢人口も急激に減っていく中、定年退職をした高齢者に働いていただくなど社会の担い手を無理やり増やしてきたわけですけれども、それもいずれ限界が訪れる。たくさんの課題が生まれて、それを解決できない古い規制があるのでなくしましょう、という考え方もあります。

反対に、発展の著しい生成AI技術は可能性と同時に権利も保護しなければならない。ビッグデータの活用にはプライバシーや倫理上の問題も伴います。規制を強化する必要も考えられなくてはなりません。

川邊健太郎氏
撮影=遠藤素子
規制は必ずしも邪魔な存在ではない。しかし「状況が変わっているのに規制を変えないというのはおかしい」と話す川邊氏。

いまの問題としては、新しい事象が起きているのに、昔の規制をそのままにしているために何かができなかったり、あるいは何かを試みるときにその規制が著しい障害になったりしているのであれば、状況に応じて変えなければならないでしょう、ということです。

都会から離れて住む者として実感する例でいえば、公共交通のドライバーが圧倒的に足りないのに、規制が変わらないのはおかしい、ということでしょうか。規制に限ったことではありませんが、変えるとは、取っ払うこともあれば、むしろ強化することも必要になるという認識を持っています。