中学・高校・大学・社会人とアマチュア野球のエリート街道を歩んできた人が今春、野球とは異なる道を歩み始めた。大企業のJR東日本を辞め、ベンチャーの投資運用会社の社員になって活躍している東條航さん(31)。なぜ、畑違いの業種に華麗な転職ができたのか。フリーランスライターの清水岳志さんが取材した――。(文中一部敬称略)
東條航さん
撮影=清水岳志
東條航さん

高卒後にプロ、大学、社会人で野球をできる選手はレア

酷暑の中、今年も「夏の甲子園」が始まる。

49の代表校の選手が汗にまみれて全力プレーをするのはチームを勝利に導くためだが、それだけではない。彼らは高校卒業後、地元一般企業に就職したり、普通の大学生になったりして、現役から退くケースがほとんどという面もある。人生最後の真剣勝負の野球を全うしようとしているのだ。

プロ選手や、大学・社会人のアマチュア選手としてもっと上のレベルで野球を続けるのはごく一部に限られる。

今回、紹介する東條わたるさん(31歳)は甲子園出場こそしていないものの、その球歴は大学、社会人に及ぶ輝かしいものだ。

中学時代:毎年難関国公立大学や早慶などに多くの合格者を出す桐光学園中学に中学受験をして合格。神奈川の名門、緑東リトルシニア(現青葉緑東リトルシニア)全国優勝。小学生時代のリトルでも全国制覇

高校時代:野球部の強豪としても知られる桐光学園高校の主力に。激戦の神奈川県予選で甲子園出場は叶わなかったが3年夏、県大会準決勝まで進んだ。

大学時代:指定校推薦で早稲田大学文化構想学部に進学、3年時から遊撃手のレギュラーを取って、この年、チームは日本一に。4年時は主将。

社会人時代:黄金時代にあったJR東日本(以下、JR)へ。入社時にそれまで遊撃手のレギュラーだった田中広輔さんがドラフトで広島カープに入団しポジションが空いたこともあり、ルーキーイヤーからスタメン抜擢。5年目に社会人ベストナインを獲得、6年目に主将就任を言い渡され、チームを引っ張った。

小学生時代も含めれば約20年間野球一筋で、まさにアマチュア野球界のど真ん中を歩いてきた。

JRで6年間プレーし、2019年に28歳のときに選手を引退。通常、社会人野球の選手はそのままサラリーマンとして会社に残ることが多いがまったく違うユニークなセカンドキャリアを歩んだ。なんと現在は、投資運用会社の社員として順調に歩みだしている。

野球人生からまったく異なるジャンルへ華麗に転じることができたのはなぜだろうか。