売れすぎて競合社に警告書を送る事態に

また四輪操舵の4WSを搭載)、発売は86年だが87年にヒットした富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」、86年10月発売のキリン「午後の紅茶」、88年1月発売で3ナンバー車のトレンドをつくった日産「シーマ」などなど。

景気が好転するタイミングは、どうやら「ヒット商品の集中」が発生する。

東京夕暮れ時の渋谷交差点の赤選択カラービューのモノクロ写真
写真=iStock.com/Eloi_Omella
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第2次オイルショック後の不況を乗り切った80年代前半にも、マツダの赤い「ファミリア」、VHS方式VTR、レーザーディスク、NECのPCなどが売れ、チューハイブームも巻き起こった。

新しいものを受け入れようとする生活者の消費マインドが、顕著となるためだろう。好況時への転換期に生まれたヒット作の特徴は、従来の延長線上にはない新機軸という点だ。

87年前後のヒット作には、いまでも販売されている商品はある。女性に支持された商品が多いのが特徴。そうしたなかでも、「スーパードライ」は最大のヒットだったといえよう。

1988年を迎えると、正月明けとともに波乱が起こる。1月6日、アサヒはキリンとサッポロに対し、内容証明付きの警告書を送ったのだ。

業界全体で「ドライ戦争」が勃発

キリンとサッポロの両社は「ドライ」と銘打った新製品の投入を決めていた。この情報を入手したことによるアサヒの警告書だが、その内容は

「①ドライビールの商品コンセプトはアサヒビールが創り出したものであること、②両社の新製品はコンセプト、デザイン、コピーなどが「スーパードライ」と酷似しているので、消費者に誤認を与える恐れがあり、不正競争行為に該当すると考えられること、という二点であった」(『アサヒビールの120年』)。

新聞やテレビはこの問題を「ドライ戦争」などと取り上げ、多くの消費者の知るところとなったが、アサヒの抗議が知的所有権の侵害を主張する内容だったのが特徴だった。こうしたニュースにより、ビール商戦そのものへの社会的関心は高まる。

前年の「スーパードライ」のヒットで経済紙だけではなく一般紙でも、「ビール」の記事が大きく扱われるようになったが、この一件でさらに大きく、多く扱われるようになっていった。

アサヒの抗議に対し、1月末、キリンはネックラベルの文言の変更を、サッポロもラベルデザインの変更を、それぞれ決めて、アサヒは抗議を取り下げる。