主力を落としたキリンの大誤算
キリンは2月22日「キリン生ビールドライ(キリンドライ)」を、サントリーは2月23日「サントリードライ」を、そしてサッポロは2月26日に「サッポロ生ビール★ドライ(サッポロドライ)」を、相次いで発売した。
4社のドライビールが出揃い、商戦においても「ドライ戦争」が勃発する。
とりわけキリンが出した「キリンドライ」は、年末までに3964万箱を販売。87年にスーパードライが打ち立てた新製品の初年度販売記録である1350万箱のほぼ3倍に相当する。2023年春までの段階で、この記録を超えるビールの新製品は登場していない(発泡酒と新ジャンルを含めると、キリンが98年に発売した発泡酒「淡麗」が3974万箱と、僅かの差で上回っている)。
しかし、キリンは88年に販売量を4.1%落としてしまう。「キリンドライ」が、主力の「ラガー」のシェアを奪ってしまったためである。
88年のビール市場(4社の合計販売量)は、ドライ戦争の激化から前年比7.2%増の4億7774万箱に拡大。この結果、新製品のヒットにもかかわらず、キリンはシェアを6.1ポイントも落とし51.1%と会社始まって以来の凋落を描く。新製品「キリンドライ」が売れたことよりも、「ラガー」の販売量が減ったことが、キリンにとっては本当に痛かった。
「万年体たらくを繰り返してきた会社が変わった」
増産体制を整えながら商戦に臨んだアサヒは、販売量を前年比70.1%も伸ばし、シェアは7.4ポイントも上げて20.1%と大台に乗せる。サッポロは3.3%販売を伸ばすが、シェアは0.7ポイント落として19.9%に。
これによりアサヒは1961年以来27年ぶりに2位に浮上。翌89年にサッポロは経営トップが責任を取り、代わる。
アサヒの当時の幹部は言う。
「それまでもアサヒは、缶ビールやビールギフト券など、先駆けたことをやってきました。でも、キリンがいつも後追いしてきて、アサヒが立ち上げたものを根こそぎ取っていってしまいました。だから、スーパードライにしても、またやられるのではという恐怖がありました。しかし、このときばかりはスーパードライはやられなかった。
「俺たちは何年もかけて消費者の嗜好調査からはじめて、新しいビールを造ってきたんだ。急造のモノマネ商品なんかに負けるわけがない」。やがて、みんなの心にこんな風に火がついたのです。万年体たらくを繰り返してきた会社が、変わった瞬間でした」
アサヒは生産するビールの大半を「スーパードライ」に切り替えていくが、それでも旺盛な需要に供給が追いつかない。
この幹部は、「スーパードライが品不足の間、埋め合わせになったのが他社のドライビールでした」と話す。