ライバル社が分析する「スーパードライの勝因」

キリンのマーケティング部でハートランドを担当する傍ら、リサーチ業も兼務していた太田恵理子は指摘する。

「スーパードライは苦くなく、女性に好まれる味でした。ただ、テレビCMはあくまで男性向け。作家・国際ジャーナリストの落合信彦氏(落合陽一の父)がサングラス姿で登場し、硬派なイメージを演出していました。このあたりのバランス感覚がうまかったと思います」

それまで主婦にとってビールとは、夫のために買うものだった。ところが、「スーパードライ」の登場で、自分のために購入を始めたのである。

「ハートランド」を世に出し、1989年には「一番搾り」を商品化していく、キリン伝説のマーケター前田仁は、「スーパードライ」について次のように記している。

「お客様の意識(イメージ)と実際の味の好みとにズレがあることが分かっています。

(中略)スーパードライ成功要因の一つは、このズレを、企んだのか偶然の産物なのか分かりませんが、巧く利用したことです。イメージはドライという名前が示すとおり男性的で本格的、しかし、味はそれまでの主流であるラガーよりも軽く、ノンビターで飲みやすい」

各業界からヒット商品が数多く生まれた

「(中略)「お客様の実際の嗜好トレンドはライト化、しかし商品に求めるイメージは本格的」。(中略)この「ズレ」を認識することが、お客様理解であり、ヒット商品を生み出すコツの一つだと考えています」(2003年4月8日作成の前田仁の講演録「思考の技術」より引用)。

経済企画庁(現内閣府など)によると、バブルの始まりは1986年12月。85年のプラザ合意による円高、そして過剰流動性が生んだ「バブル経済」。バブル以前は、円高不況に列島は喘いでいた。ところが、一転してバブルである。

「スーパードライ」発売の1987年とは、不況期から好景気への転換期に当たる。そんな87年は、ヒット商品が数多く生まれた年だった。

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