「市の無料子育て施設で外国人を見たことがない」

「今日来てた外国人の夫婦。どちらも日本語がわからなくて、すごく大変そうだった。職員さんとも会話ができないし、あっちに行ってって言われたところがわからなくて、ずっとウロウロしてたもん」健診の帰りに母が僕にこういう。

母も、家族にミカという存在が加わったことで、周りの外国人たちを気にするようになった。パート先に外国人のお客さんが来ると、ゆっくりと話し、日本語で書いてもらう書類があるときは、日本語の読み書きができるか事前に聞くようになった。

そんな母から見て、行政の子育て支援が、外国人たちに伝わってないように思えるという。

「広報紙に書いてある子育てイベントとか、市の無料で使える施設で、外国人を見たことない」

ミカも母に連れられて参加したイベントの帰りに「外国人私だけだった」とよく言っていた。

僕たちの住む地域にも沢山の外国人が住んでいる。買い物で街中に出かければ、外国人を見ない日の方が少ない。だが、子育てイベントや市の無料子育て施設を利用している外国人は少ない。

素晴らしい支援制度があっても、外国人には情報が行き届いてないのだ。

外国人の友人から日々寄せられる相談の数々

困ったことがあれば市役所等に相談に行けば、と思うかもしれないが、市役所や行政の窓口は、外国人にとって敷居の高い場所だ。日本語の問題もあるし、市役所の開いている時間や、何をどこで相談すればいいかがわからない、という人もいる。

実際、市役所まで行っても、日本語が通じずに相談ができなかったり、外国人ということで冷たい態度をとられたように感じた経験をしたり、そうされるのではと不安を持つ人もいる。

だから、外国の人たちが困ったときに真っ先に頼るのは、日本に住む同国人の友人や先輩だ。言葉も通じるし、気持ちもわかるから相談しやすい。

タガログ語が少し話せる程度の僕にも、フィリピン人の友人たちからの相談が来る。

「家に届いた書類が何か教えて欲しい」「バスに忘れ物をしたからバス会社に電話をして欲しい」「マイナンバーカードを作りに行ったが役所の人と言葉が通じず作れなかったから、役所までついてきて欲しい」「携帯電話の契約をしたいからついてきて欲しい」

「腹痛で病院に来たから電話越しに通訳をして欲しい」など、日常生活の色々な所で助けを求められる。

日本語が不自由で日本の生活に慣れていない彼らは、誰かに頼らなければ日本で生活することは難しい。わからないことだらけなのだ。

だが、僕も行政の制度に詳しいわけではない。正しい情報を伝えられているかどうかもわからない。頼られた人の能力によって、その外国人の日本での生活のしやすさが変わってくる。

ミカは僕の母という身近に頼れる人がいたから、子供も日本の手厚い子育て支援サービスの恩恵を受けることができている。

「私、お母さんいなかったら、本当に何にもわからない。子供が可哀そうなことになる」

もし、こうした頼れる人がいなければ、日本での子育ては厳しかっただろう。子供がここまで元気に育つことができたかすらわからない。