なぜ普段の日本語では使わないのに、名前のときだけ読める読み方があるのか。日本漢字能力検定協会漢字文化研究所主任研究員の田中郁也さんは「ふだんの日本語では使わないのに、名前のときだけ読める特別な読み方は『名乗り訓』と呼ばれている。名乗り訓は日本語特有の文字運用のあり方によって生まれたものだ」という――。

※本稿は、日本漢字能力検定協会編『漢字の大疑問 いつも使っているのに意外と知らない言葉の世界』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。

鳥居強右衛門の墓・新昌寺(2012年4月28日、愛知県新城市有海)
写真=時事通信フォト
鳥居強右衛門の墓・新昌寺(2012年4月28日、愛知県新城市有海)

名前のときだけ読める「名乗り訓」

名前にだけ使える読み方があるのはなぜですか
回答=田中郁也(日本漢字能力検定協会漢字文化研究所主任研究員)

ふだんの日本語では使わないのに、名前のときだけ読める特別な読み方があります。

これが「名乗り訓」と呼ばれるものです。

多くの漢和辞典には【名前】【人名】などの欄があり、そこには人名としての読み方がまとめられています。たとえば『漢辞海(第二版)』(三省堂)では、「斉」の【名前】欄に「きよ・ただし・とき・とし・なお・なり・ひとし・まさ・むね・よし」といった読みが並んでいます。これらの読みは、ほとんどの場合、名前以外では使われません。

では、どうして名前だけに使われる読み方が存在するのでしょうか。

名乗り訓のいくつかは、中国の字書や古典文献への注釈に由来します。例を挙げると、後奈良天皇(在位1526~57)の生誕に際して「斉仁」という名付けの案が提出されたことが、関白である衛尚通の日記に見られます。そこでは、「斉仁、多太なり」と読み方を記したのちに、「毛詩曰、人之斉聖。注曰、斉、正」と言っています。

これは、『詩経』小雅・小宛の「人之斉聖」という句に対してつけた、前漢・毛亨の注釈に、「斉、正(斉、正なり)」とあるということを示しています。つまり、近衛尚通は中国古典の注釈の中に「斉」を「正」という意味で使っている例があるところから、「正」という字の定訓(=字を見た時に想起する固定的な訓読み)である「ただ」で「斉」字を読ませたというわけです。

『詩経』の「斉」に注が付けられた理由

これは古典注釈を読む際に注意すべき点ですが、字や語に付される注は、ふつうに読めるものや意味が自明なものには付けられず、むしろ「そのままでは読み方や意味がわからないもの」に限って施されます。たとえば、いつもおいしい食事を作ってもらっている子どもが、格別においしいと感じたときにだけ「おいしい」と言い、日常的に食べているおいしい食事については、あえて「おいしい」とは言わないのと同じです。

「斉」の「正」という意味も、まさにこの「普段とは異なる」ケースに属します。

『詩経』の該当箇所に現れる「斉」字は、この字の中心的な意味から外れていたため、それを補うために毛亨によってわざわざ「正なり」という注が付されたのです。したがって、「斉」を「ただ」と読むのは一般的・通常の読み方ではなく、主として人名の場面など、限定的な文脈においてのみ生じた読みであることが理解できます。