「昌」「光」「孝」…
「斉」を「ただ」と読むように、中国古典の注釈からつけられた人名として、江戸時代の国学者である荻生徂徠(1666~1728)はいくつかの例を挙げています。
それによると、「昌」をマサと読むのは『書経』に対して孔安国がつけた「昌、当也」という注に拠るとし、「光」をミツと読むのは同様に「光、充也」という注釈に基づくこと、「孝」をタカと読むのは『孝経』序の「孝とは人の高行なり」という注釈に由来することによるのだと述べています(『南留別志』巻2)。
ここに挙がっているようなごく一般的な名前としての漢字の読み方も、徂徠先生の説に従えば中国古典注釈によるものだということになります。
少し難しい話になってしまいますが、中国語でも、もとの漢字の発音の一部だけを変化させることによって、一つの漢字の特定の意味だけを指し示すことがあります(いわゆる破読で、「悪」を「憎む」という意味で用いる場合にはヲ〈に相当する中国語音〉で読む、などの類です)。これに対して日本語には、漢字と同じ意味をもつ和語を対応させる訓読みという仕組みがあり、中国語における漢字音読と比べて、字の読み方をより柔軟に操作することができます。
徳川家の武士・鳥居強右衛門の名前
そのため、中国古典注釈に示された語釈を、意味説明として読むだけでなく、そのまま「読み」として人名に付すことが可能となりました。名乗り訓は、まさにこの日本語特有の文字運用のあり方によって生まれたものだと言えるわけです。
しかし、すべての読み方が、このように中国の字書や古典文献の注釈に求められるわけではありません。例えば、「和」を「かず」と読むことについては、いまだその由来が明らかではありません。こうした由来不詳の名乗り訓は多数ありますが、そのようなものの一つとして、「強」を「すね」と読む例について見てみましょう。
この読み方は、徳川家の武士・鳥居強右衛門の名前に見られます。彼は、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で岡崎体育氏が演じたことでも知られる人物で、長篠の合戦における働きによって後世に名を残しました。「強右衛門」の「強」を「スネ」と読む例はきわめて稀で、私の知る限りでは、漫画『ドラえもん』の登場人物「スネ夫」が中国大陸で「強夫」と表記されることがあったという例を除けば、ほとんど確認できません。

