使える部材は再生し、すべて活用
工事は、まず校舎の躯体修復から始まった。乃村工藝社のディレクターで、資材の調達や建設会社との調整にあたった萠拔徹さんは、作業は主に「再生」と「複製」だったという。
「90年近く経った建物なので、かなり崩落している場所もありました。外してみて、まだ使えそうな部材なら再生して使う。使えなそうなら、同じものを複製します。エイジング処理をして、古い部材と見分けがつかないようにしてね。タイルはほとんど複製になりましたが、軒下の飾り腕木は9割くらいが再生でいけました。屋根瓦も、50%程度再利用できました」
ちなみに、外壁は大半が再生。巻きついているツタや長年たまった汚れを取り除き、洗い出しをしてから傷んだ部分を補修したという。
躯体修復作業と並行して、増築部分の設計が進められた。校舎の床面積のみでは、ホテルとして必要な広さが確保できないからだ。再開発にあたっての条件や景観規制上の難しさがあり、小坂さんは建築家と悩みながら進めたという。
「増築する部分は主張してはいけない」という課題
「増築部分は、すでに大まかな平面図はありました。それを設計する段階で、僕がディレクションさせてもらって、知り合いの建築家をアサインして、一緒に詰めていきました。
この再開発は、建物を残すという条件で認められたのですが、この条件や景観規制がかなり厳しい。増築部分の窓の高さなんかも自由にはならないんです。特に難しかったのは、“増築する部分は主張してはいけない”ということ。つまり目立たないものにしてくださいというわけです。元の建物が、オリジナルの形でちゃんと保存されているように見えなければならない。だから、元の校舎と同じ色や素材は使えないんです。
でも、目立たないという概念はとても難しい。さんざん議論した結果、増築部分は、すべて黒い平らな箱にしました。夜になってライトアップすると、増築部分はブラックアウトして、元の校舎だけが浮かび上がって見えるようになっています」