人生という「迷い道」の中で「学ぶことの意味」

では人生という「迷い道」を歩く中で、「学ぶことの意味」はどこにあるか。

プラトンという古代ギリシアの哲学者は、哲学をするということは、「死の練習」をすることであると言いました。プロセス指向心理学のアーノルド・ミンデルは、多くの人は死の2週間くらい前になると、人生の真実がわかる。心理学を学ぶと、それをほんの数十年早く学ぶことができる。それが心理学を学ぶことの意味だと言っていました。

迷い道から抜け出たらどこに行くのかを、どこかちょっとだけわかりながら、迷い道で迷い続けるというのが、生きるということなんだろうと思います。

死ぬということは、「迷い道から抜け出る」ことなんだと少しだけわかりながら、日々を迷いながら生きるのです。この「少しだけわかりながら」というのが、「学ぶことの意味」です。

人生がいつまでも続くと思うと、ついだらだらと無意味な時間を過ごしてしまいます。

しかし、人生そのものが「ほんの一瞬の魂の修学旅行」だということがわかっていると、そういうことがなくなる。修学旅行が4日間だとするならば、私の年齢の58歳というのは、最終日、4日目の朝方でしょうか。

「ああ、今日が最終日だ。もうすぐ終わりだ」と寂しい気持ちで終わりを感じつつも、最後まで精いっぱい学び、遊び尽くす。それが50代、60代、70代という年齢です。

人生を「とりあえず3年」単位で生ききる、という本書の教えも、人生というのが、修学旅行のような、ほんの一瞬の儚い出来事だということを忘れずにいるための仕掛けなのです。

人間は生まれた時から「死の世界」「見えない世界」の中にいる。形なき「見えない世界」の中で、同時に「見える世界」にも生まれ落ちるわけです。

当然のことながら、生まれた瞬間からすでに「あの世」にいる。生まれた瞬間から「あの世」「死の世界」にも同時にいるんです。

私たちは、赤ん坊であろうと中学生であろうと、58歳であろうと90歳のご老人であろうと、同じ。みんなすでに「あの世」「形なき世界」の中にいる。

「あの世」にいることを死んでいると言うのであれば、すでに死んでもいるんです。全員死んでいる。死んでいるんだけど、ほんの一瞬、数十年だけ、同時に生きてもいるんです。

お花畑
写真=iStock.com/AlessandroPhoto
※写真はイメージです

幻というならば、生きていること自体が幻です。ほんの数十年だけ、ほんの一瞬だけ、幻の世界を生きている。ほんの一瞬、「魂の修学旅行」をできている。ありがたいことです。ありがたく生きましょう。精いっぱい「魂の修学旅行」を楽しみましょう。

もうすでに死んでいるんですから、わざわざ死ぬ必要はありません。わざわざ自殺なんかする必要はない。

こうしたことを体感的に学ぶことができる心理学がトランスパーソナル心理学です。

不可思議なのは「あの世」ではなく「この世」である

いずれにせよ、不可思議なのは、「この世」です。奇跡は、この「見える世界」です。だから日々を味わいながら生きることが大事なんです。全力で味わいましょう。

諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)
諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)

それに比べたら「あの世」なんていうのは全然不思議じゃない。超常現象なんて全然不思議じゃない。

日々の人生のほうがずっと不可思議です。奇跡ですよ。死んだらとても当たり前の世界に戻るだけです。つまらない世界です。

不可思議で奇妙なのは、「この世」、この世界。僕たちが日々生きているこの世界です。

楽しみましょう。せっかく幻の世界に生きているのだから。せっかくこの「見える世界」「この世」にいるのですから。せいぜい日々を味わいながら生きましょう。最高ですよ!! この幻は。酒もうまいし、飯もうまい。キレイな景色もたくさんある。

死んだ後、別の世界への生まれ変わりがあるのかどうかわかりませんけれど、生まれ変わっても、こんなにすばらしい奇跡、味わえるでしょうか?

せっかく最高の世界を見させていただいているわけですから、日々最高に楽しんでいきましょう。

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