人生の最後はどう迎えるべきか。明治大学文学部教授の諸富祥彦さんは「チベット死者の書では、死ぬ瞬間に大きな『光』から目をそむけずに見ることを教えている。たとえ光がこなかったとしても、死ぬ時の心の準備として、意識で意識を意識することだ」という――。

※本稿は、諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

金色のきらびやかな星光
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死の瞬間のまばゆい光から目をそむけてはいけない

人生の最後の瞬間にできる最大のこと、それは、最後の瞬間に訪れる、まばゆいばかりの光から目をそむけずに、それを見ること。目を見開いて見ること。これです。

これが人生の最後の瞬間に最も大事なことだと『チベット死者の書』は教えているわけです。

チベットでは、死ぬ瞬間には、近親者はそばにおかないんです。この世への執着を刺激するので、家族、恋人、親、子ども、妻、夫はそばにおかないんです。この世への執着を刺激してしまうので。そばにいることができるのは僧侶のみ。

それで、ただ光を見るという、この体験のために備えるわけです。

それは、よい転生、生まれ変わりのためであり、さらには解脱のためです。

よい転生をするためです。

大きな光がくると、まばゆいので、思わず目をそむけてしまう。そして、小さい光のほうに目を向けてしまう。

すると、あまりよくない生まれ変わりになってしまうということなんですね。

ですので、小さな光に目をやりたくなっても、決して大きな光から目をそらさないこと。大きな光を見続けること。これが、何よりも重要なことなんだと『チベット死者の書』では言うんです。

ケン・ウィルバーというトランスパーソナル心理学最大の思想家でインテグラル理論の創始者がいます。この方が、がんで亡くなっていく奥さんを看取る時にも、「その光だよ」「目をそむけるな」「その光を見るんだ」と、励ますわけです。

光を見る。

私も死ぬ時に、しっかりと覚えておきたいことは、目を見開いて光を見る。まばゆいばかりの光から目をそらさない。しっかりと光を見る。これを忘れないようにしたいものだと思っています。

けれども、本当にそういう光がやってくるのかというと、それはわかりません。