いずれ訪れる死の瞬間を迎えるための3つの心得

私も、最後の瞬間にしたいのは、まず呼吸に意識を向けて、整えたい。

鼻から入ってくる息、鼻から出ていく息に、まず意識を向けたい。

どんなにまばゆい光が襲ってきても、目をそらさずに、目をカッと見開いて、見続けたい。

けれども、この方の体験のように、もし光が来なければどうするか?

あきらめるのではなくて、「意識で、意識を整える」「意識で、意識を、意識する」。

最後はただ、これしかできないのであれば、これをやっていきたい。

死ぬ時には、これをやる。

これが最後にできることだろうと思って、死ぬ時に向けて、心の準備をしておきたいと思っています。

死の最期の瞬間に私がしたいと思っているのは、次の3つです。

1つ目。まず呼吸を整える。鼻呼吸に意識を向ける。鼻から入ってくる息に。いのちとは息ですから。キリスト教圏でも、こう言います。いのち(スピリット)、スピリット(spirit)というのは、息、息吹。スピリットというのは霊であると同時に、いのちである。それは呼吸、息という意味でもあるのです。

「入ってきているなあ~」「出ていっているなあ~」「入ってきているなあ~」「出ていっているなあ~」と、呼吸にゆっくり意識を向けたい。

諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)
諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)

2つ目。『チベット死者の書』が教えてくれるように、本当にまばゆい光が来たならば、目を見開いてそれを見たい。小さな光に意識を奪われることなく、目を見開いて、しっかりと光を見続けたい。

3つ目。光が来ないかもしれない。「えっ、光が来ないよ。どうしよう?」そうなった時には、「意識で、意識を、意識する」。

意識で、意識を、意識する。

ただこれを繰り返す。意識で、意識を、意識する。

意識を整えるということ、ただそれだけをやっていく。

この3つのことを心得て、いずれ訪れるであろう死の瞬間を迎えたいと思います。

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