「紙幣をいくらでも刷れるから大丈夫」はウソ

私が邦銀から米銀に転職した時、驚いたことがある。

邦銀勤務中はG7の政府・中央銀行相手なら青天井で取引ができた。しかし米銀はG7の主要先進国であろうと、国も中央銀行も倒産の可能性があると判断し、時価評価をしたうえで取引枠を定めていた。

信用が落ちれば取引枠が削られ、最悪の場合、廃止される。

日銀との取引枠が削られれば、外国人は日本国債、日本株の取引はもちろんできなくなる。為替取引もだ。最終的に円サイドの決済は日銀当座預金を使うからだ。

原油購入のためにルーブル決済を強制できるロシアと違い、決済を強制できる資源もモノも持たない日本の通貨はドルとの交換が不可能になる以上、世界のローカル通貨となってしまう。

12月2日の雨宮副総裁も、12月6日の黒田総裁も「日銀は紙幣を刷れるのだから債務超過になっても金融政策運営上、何ら問題もない」とおっしゃった。

しかし、そのことに何の意味があるのだろうか? 12月6日に藤巻健太衆議院議員が黒田総裁に反論したように「たしかに日銀は紙幣を刷れるから、民間企業のように資金繰り倒産をすることはないだろう。しかしだからといって日銀の信用が失われないということではない」のである。

日本の1万円の札束
写真=iStock.com/kazuma seki
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紙幣を刷りすぎて、信用維持は困難

その「日銀の信用」に関して、雨宮副総裁も黒田総裁も「金本位制の時は金が紙幣の信用を担保していたが、管理通貨制度の現在は、中央銀行が信頼に足る金融政策を行うことで担保される」と答弁された。

私が銀行員だった頃(2000年3月末まで)も、そう言われていた。私も当時はそう思っていた。しかし、それだけ守ってさえいれば中央銀行の信用が保たれるわけではない。

2018年の日本金融学会の特別講演で、雨宮副総裁自身が以下のように述べている。

「マネーが『信用』を基盤とする点は変わらないでしょう。そして、このような信用を築き上げるには『コスト』がかかります。(略)ソブリン通貨(円のような法定通貨のこと)の場合は、中央銀行の独立性を担保する制度的枠組みや、信頼に足る業務や政策のトラックレコードなどが必要となります。もちろん、中央銀行への信用がひとたび失われれば、ソブリン通貨といえども受け入れられなくなることは、ハイパーインフレの事例が示す通りです」

「信頼のたる金融政策の遂行」のみではなく「中央銀行の独立性を担保する制度的枠組み」なども、中央銀行の信用保持には必要だと雨宮副総裁はおっしゃっているわけだ。

故・安倍晋三元首相が「日銀は政府の子会社だ」と公言するなど統合政府論がまかり通っている。この10年で状況は大きく変わったのだ。

「禁じ手中の禁じ手」と言われている財政ファイナンス(政府の歳出を中央銀行が紙幣を刷ることによって賄う)が堂々と行われている日本の現状では、雨宮副総裁が発言しているような中央銀行の信用など維持できない。