少年たちをくぎ付けにした野村のバッティング

当時3年生だった稲坂祐史、1年生だった藤森則夫がともに口にしたエピソードがある。それが前回で述べたように、チーム発足間もない頃、少年たちの前で披露した野村の「雄姿」だった。

「その日、野村監督がいきなり、“今日はバッティングを教えてやる”と言って、金属バットを持って打撃ケージに入りました。僕たちは周りからそれを見ていました。そうしたら、全部ホームランを打ったんです。本当に全球ですよ。あれは衝撃的でした」

興奮気味の祐史の口調が、その衝撃度を物語っている。藤森も口をそろえる。

「あるとき、野村さんがいきなり、“オレが見本を見せたるわ”みたいな感じでジャージ姿で打席に立ちました。ピッチャーはコーチが務めていたと思います。そうしたら、ガンガン放り込むんです。すごく軽く振っているのに、打球は遠くまで飛んでいく。“あ、こんなスイングで入るんだ”ってすごく驚きました」

この日以降、祐史も、藤森も、もちろん他の少年たちも、野村に対する尊敬の念が一気に高まったのは言うまでもない。

試合前のグラウンド整備
写真=iStock.com/manpuku7
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言葉ではなくパフォーマンスで少年の心をつかんだ

旧姓稲坂から酒巻となり、現在は東京・新宿で代々続く焼鳥の名店「鳥茂」の三代目を務める祐史が言う。

「その瞬間から、“あ、この人についていけば間違いないんだ”って思いました。それまでは普通に《克則の父ちゃん》だったのが、一気に《野村監督》に変わりました。今、自分は経営者ですけれど、経営者と従業員の間には絶対に信頼関係がないと成り立ちません。あのとき、僕ら選手と監督との間に信頼関係が生まれた気がしますね。とにかく、あれは衝撃的でしたよ」

当時の野村は50代前半だった。ボソボソしゃべるおなじみの「ノムさん節」からは想像できない、アスリートとしての圧倒的なパフォーマンスでこのとき、少年たちの心を一気につかむことに成功した。

『野村克也全語録』には「感動すれば、人は自然と動く」と題してこんな一節もある。

感動は人を変える根源である。

感動はプラスの暗示をもたらす。

人はマイナスのことには感動しないものだ。逆に、感動すれば自然と動くようになる。「感動」とは読んで字のごとく、「感じて動く」ことなのだ。

後にプロ野球の監督に復帰した際に、野村は「言葉」を駆使して、選手たちに感動を与えることを心がけていた。しかし、その前夜となる港東ムース時代には、自らの身体を使った「パフォーマンス」で少年たちに感動を与えたのだ。

少年たちの姿から学ぶことはとても多かった。この時期は、野村にとってNPB復帰に向けての下準備が着々となされていた時期でもあった。

野村もまた、この時期に多くのことを学んでいた。