2020年に亡くなった元プロ野球選手の野村克也さんは、1988年に「港東ムース」という少年野球チームを創設している。そこでは全国大会での優勝を目指して、さまざまなテクニックを少年たちに教えていた。当時の「野村ノート」にはなにが書いてあったのか。長谷川晶一さんの著書『名将前夜』(KADOKAWA)より一部を紹介しよう――。(第3回)
三塁に滑り込む少年野球選手
写真=iStock.com/barr5557
※写真はイメージです

実践に即した名将・野村克也の教え

全国大会での優勝を目指して臥薪嘗胆がしんしょうたんを期していた野村は、この頃、さまざまなことを少年たちに教えている。

ある日の神宮室内練習場でのことだ。このとき野村が指導していたのは「無死一、二塁の場面。バントシフトの際に確実に三塁でアウトにする方法」だった。相手が確実に送りバントをしてくるという場面、守備側としては何としてでもサードで封殺したい。

その際に野村が指導したのはこんなことだ。

入団後すぐに、野村の自著である『野球は頭でするもんだ』(朝日新聞出版)を入手して熟読していた平井祐二の説明を聞こう。

「ノーアウトで、相手走者が一塁と二塁にいるとします。ピッチャーがセットポジションに入ると同時に、ファーストとサードが、“(バントを)やらせろー!”と、バッターに向かってダッシュをします。セカンドは一塁ベースにカバーに走ります。このときのポイントはピッチャーがカバーに入ったショートを目がけて逆ターンで二塁に牽制球を投げることです。これが《第一弾》です……」

一塁手と三塁手がホーム方向に猛然とダッシュしてくる。一方で二塁手は定石通りにがら空きとなったファーストベースのカバーに入る。平井の言う「第一弾」の続き、すなわち「第二弾」を聞こう。

「無死一、二塁」でランナーをアウトにするには

「……この牽制では別に走者をアウトにするつもりはなくて、単なる《エサ撒き》です。あわよくばアウトになればいいけど、別にアウトにならなくても構わない。で、次にポイントとなるのが、2球目も同様に牽制のそぶりを見せて、今度は打者に向かってバントをしやすいど真ん中に絶好球を投げること。これが《第二弾》です……」

「第一弾」では、実際に牽制球を投げた。しかし、「第二弾」では打者に投じる。ここで重要となるのは「ショートの動き」だった。

「最初の牽制ではショートはセカンドベースに入りました。でも、《第二弾》では、ショートはセカンドカバーには行かずに、サードベースのカバーに走ります。で、ピッチャーは《第一弾》同様にちょっと回転を入れつつ、セカンドに牽制するふりをしてホームに投げるんです。こうすれば、二塁走者は確実にスタートが遅れます。そこに、打者にとってバントのしやすい甘いボールが来る。走者のスタートが遅れているのに、打者としては絶好球だから“しめた!”と思ってバントをする。かなりの確率で二塁走者は三塁でアウトになりました」