野村監督が常に球児に説いた「適材適所」の考え
さらに野村は「適材適所」についても、少年たちに説いていた。
バットコントロールにすぐれ、バットに当てることで持ち前の俊足を存分に生かしていた稲坂匠は、常に「一番打者は塁に出ろ」と指導されていた。
「野村監督からは、“とにかく何でもいいからお前は塁に出ろ”と言われていました。第1打席に入る前に、監督から“相手はここを攻めてくるから、きちんと張っておくんだぞ”と言われました。そして、実際にその通りのボールがきました。ムースに入ってすぐにキャッチャーをやったことで、僕自身もかなり配球を読めるようになっていたので、読みで打ったヒットもたくさんあったと思います」
後に二番打者を任されることになる平井祐二は言う。
「本当に匠はよく打ちました。今となっては正確な数字はわからないけど、出塁率は7割、いや8割ぐらいあったような気がします。気がつけばいつも一塁にいる。そして、すぐに盗塁をしました。試合が始まってすぐにノーアウト二塁です。この場面では、野村監督はバントのサインは出しません。右打ちの指示が出ます。だから、僕はずっと右打ちの練習をしていたし、セカンドゴロとなっても匠が三塁に進むことができれば、監督からは褒められました」
「二番打者だからといって、小技ばかりじゃダメだ」
さらに、当時の「実感」について平井は語る。
「僕らの代では、匠が塁に出て、すぐに盗塁する。僕が進塁打を打って一死三塁。その後、三番の(田中)洋平、四番の紀田(彰一)のどちらかが打って先取点を挙げる。なんか、“1点を取るのはすごく簡単だな”という実感がありましたね」
このとき、平井は野村にこんな注意を受けている。
「二番打者だからといって、小技ばかりじゃダメなんだぞ」
この言葉の意味を平井に解説してもらおう。
「さっきも言ったように、二番バッターって、どうしても犠牲バントや進塁打など、《小技》というイメージが強いんですけど、野村監督には“それだけじゃダメなんだ”と言われました。ときにはきちんと長打も打てる。そんな意識も必要だと教わりました。そして、今でも強く覚えているのは、“《打点》じゃダメなんだ、大切なのは《打線》なんだ”という言葉です」