食卓に誘うことの効用

また、私はいつも難民のことを考えます。住む家もお金もすべてを失い、子どもを連れて追い立てられ、それでも耐えてきた人もたくさんいる。私には今晩住む家があり、清潔な場所で眠れるのだから、文句は言えないと思います。

それに、手を差し伸べてくれる友人もいます。雨の降る寒い晩に、「ひとりでいるよりすき焼きを食べにうちへ来ない?」なんて誘われたら嬉しいですものね。でも、この二十年くらい、ご家庭に呼んでいただく機会が少なくなりましたね。

食事は、人と一緒に食べるのが一番いい。人間は、お互いにご飯に招き合うべきだと思います。たいしたものがなくてもいいんですから。

食卓で向かい合って食事の前に手を合わせる二人の人物
写真=iStock.com/byryo
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夫が亡くなる少し前、うちの台所に変な形のテーブルを作ったのです。お手伝いさんも私も七十歳を過ぎていますから、二人ともだんだん体力もなくなってきて、食堂のテーブルまで食事を運んでもらうのも申し訳ない時がありました。台所の流しから一・五メートルのところにそのテーブルを作ったから、煮物ができたらすぐに並べられる。お醤油を出すのもすぐ。とても気楽でしょう。そのテーブルを囲んで賑やかに食事をするようになりました。

カトリックにおいても、食事は大切なものです。「コミュニオン=共食」という考えがあり、それは食べ物のみならず精神的なつながりやなぐさめにも波及します。

なぜ日本人の心は貧しくなったのか

曽野綾子『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)
曽野綾子『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)

昔、ペルーの田舎町を訪ねた時のこと。日本で集めたお金で現地に幼稚園を建てるための旅でした。レストランなどないようなところでしたが、戸外の葡萄棚の下のテーブルに案内していただきました。ひとつ空いている席があったので、隣の日本人の神父様に小声で「どなたかいらっしゃるのですか?」と聞きました。すると、「いえ、誰も来ないと思います」という答えなんです。あとで聞いた話ですが、それは「神の席」と呼ばれるものだったのです。通りがかりの貧しい人や旅人を招くために、いつもひとつ空席を作るのだとか。一般の家庭でも毎日そうしている人がいると言います。

日本ではそんなことは皆無でしょう。日本人は友達同士でもしない。日本人が貧しくなった理由だと思います。めざし三本に味噌汁だけでいいのです。夫を亡くして寂しいというような人こそ、互いの食卓に招き合えばいい。

新たな人間のつながりによって、人生を知るんですね。女たちのお喋りは、なぐさめにもなり、「知り合い度」を深めることにもなるのです。お金もかかりませんよ。