夫の遺品はすべて片づけた

夫が亡くなってから、丸一年かけて家の中を片づけました。夫のものも自分のものも、部屋ががらがらになるほどにあらゆるものを捨てて、いまや我が家は道場みたいですよ。

夫はとくに趣味もなく、何もいらないという人でした。七畳ほどの部屋には、作り付けの書棚があり、そこに最低限の必要なものだけを置いていて、飾りなど何もない。小さな洋服ダンスがひとつありましたが、それも全部片づけてしまった。

三十足の靴と洋服は、山谷(東京・台東区)でアルコール依存症の方の支援をしている団体に引き取っていただきました。ネクタイはくたびれたものは処分し、親しい方に二十本くらい引き取ってもらった。お使いになるなら、どうぞと。夫の蔵書には手をつけていません。私の分と合わせて息子に託すつもりです。息子はいま関西に住んでいて、たまに顔を出してくれる程度ですが。

もともと私は、捨てること、整理することが大好きなんです。戸棚を開けて、中に空気だけ入っているのを人に自慢したくなる。だって、気持ちがいいじゃないですか。「そんなの貧乏ってことじゃない」と笑われますが。

けれど、約一年半の介護が終わった直後から、そんなふうに片づけに勤しんでいたせいか、疲れが出たのかもしれません。最近は、熱が出て一日中寝ていることも増えました。六十四年休みなく書き続けながら、この家で自分の母と、夫の両親、そして夫を見送りました。その間、十年は日本財団の仕事をし、各国への支援にも多少関わりましたから、疲れるのも当たり前ですね。少し休みたいのです。

常に死と別れを考えてきた

私は常に死別ということを考えてきました。誰に対しても、別れること、壊れること、会えなくなることを考えます。戦争を経験しているということもありますが。どんなに幸せな時も死や破局を考えているから、たいていのことは、夫の死であっても、「思ってもみないことだった」とは言わない。絶望をしないですむのはそのせいかもしれません。

夫がいなくなった、その心理的空間は、技術としては埋めようがないのです。不在による寂しさは仕方がない。仕方がないことをぐずぐず言うのは嫌です。

夫を亡くして落ち込んでいるという人は、徹底的に落ち込むのも自然の経過でしょう。死別に限らず、すべての悲しみは自分で引き受けるしかないのです。

私は五十歳になる直前、視力を失いかけ、その時はとても落ち込みました。けれど、目が悪いという私ひとりの運命を自己流で身につけての技術をさらに磨いて、東京一の鍼灸しんきゅう師になろうと考えました。私、独学ですが鍼が打てるんです。

苦境においては、納得するまで一人で迷って、苦しむしかない。万人が万人、例外なくそれぞれに苦しむのです。