神奈川県在住の元エンジニア・河浚(かわざらえ)泰知さんは10年前、富士フイルムを定年退職後、ずっと砂金掘りに没頭している。砂と岩に混じった小さくキラリと光るものを追い求めて、時には北海道やオーストラリアへ長期遠征。なぜ、そこまでハマったのだろうか――。(聞き手・構成=山本貴代)

真面目な元富士フイルム社員が定年後、砂金掘り師に

「一見控えめでシャイな性格。出世よりも家族優先。グイグイいくタイプではないけれど、好きなことには夢中になると、話が止まらない」

河浚泰知さん
河浚泰知さん(写真提供=本人)

妻は私のことをこう評する。まあ、そうかなと自分でも思う。確かに好きなことには没頭するタイプだ。

55歳の時、勤務先(富士フイルム)では早期退職の募集が相次いでいた。私はこの会社が大好きでエンジニアとして長年勤めていたが、この頃、ある気持ちがふつふつと湧きあがっていた。

「漁師になりたい」

妻に胸の内を打ち明けたら、やれやれという感じで言われた。

「そうなると引っ越さなければならないから、定年までは働いてほしい。60歳になったら、漁師になろうが何になろうが好きにすればいいわ」

子供2人はすでに社会人になり、独立している。貯金は微々たるものだが(どちらか一人分の老人ホーム入居資金程度)、幸い家のローン残債はなく、夫婦2人の老後の生活も退職金と年金でなんとかできるメドのようなものはある。正直に言えば、若い頃のようにがむしゃらに働く情熱は失われていた。けれど、引っ越すとなると大ごとだ。妻の言う通り定年(60歳)まで働くことにした。

河浚さん夫妻
河浚さん夫妻(写真提供=河浚泰知)

なぜ、漁師だったのか。

彼らは、誰に媚を売ることもない。言動は少し荒っぽくても、いつも素を貫いている姿に憧れたのかもしれない。会社員は経済的には安定しているが、窮屈な面も多い。

知人が伊豆富戸港で漁師をしていた関係で、休日には自宅のある小田原からよく釣りに出かけた。2kgサイズの赤ムツや4kg超えのアラ、アコウダイの提灯行列など、200~500mの深場釣りに魅了された。魚のおろし方や料理を教えてもらえるのも魅力的だった。

除草剤を撒いたゴルフ場で偉ぶった人たちといると、ストレスの澱がたまるが、海釣りならそんなダメージとは無縁だった。いつも釣りの時に借りていた人から、船を安く譲ってもらえそうだったし、漁港権利も得ることができそうだった。だから、漁師になりたかったけれど、簡単には引っ越せないことに気づき、釣りは趣味に留めた。

そんな自分が砂金と出会ったのは、約10年前のこと。退職直前に、当時、旅行の添乗員をしていた妻と“2人で行ってみたいリスト”に入れていた新潟の佐渡へ。金山の砂金場の体験が組み込まれていたツアーで、砂金掘りの虜になってしまったのだ。45分しかいられないのに、自分ひとり、子供のように、ずっとそこにいた。パンニング(※)によって砂礫と砂鉄と砂金が分別できることを実体験して、当然のことながら、まともな金は採れなかったのに何か新しい景色が瞬間的に開けたような気がした。

※砂金採取のための皿。階段状の段差があり、皿底に沈殿物を引っ掛ける。