常に良いことばかりをするのは無理
私ができるかもしれない正しいことを考えるときは――環境保護、社会貢献、利他的な行為―─二つのレイヤーに分類することにしています。
一つ目は、自分の人生においていつ何時でも責任を負う義務があると考える基準のことです。誰でも私にその責任を持たせて良いレイヤーともいえます。私にとってこのレイヤーは、人種差別、性差別、階級差別、同性嫌悪、トランスフォビア、障害者差別をしないと確認するためのエリアです。他人を罵倒したり、いじめたり、搾取したりしないこと、常に正直にふるまうこと、誠実であることです。
二つ目のレイヤーは、道徳的に良いことのエリアです。絶対的とはいえませんが、可能な限り自分が参加するものです。小さな会社をサポートする、寄付をする、ボランティアをする、リサイクルをする、ファストファッションを避ける、ごみを減らす、倫理的な活動をする企業を優先する、などがこれに当たります。
私は自分の内面で、このレイヤーをどのように構成するのかという点に限って、責任を負っています。良いことばかりを常にすることは無理です。
抑圧的な完璧主義だけを設定するよう自分に期待しても、誰もそれに応えることはできません。不完全さが良い人生には求められるのです。
ガラスのボールはどれなのか
ヤングアダルト作家のジェニファー・リン・バーンズがこうツイートしました。
自分自身を機能させようともがいているとき、自分のガラスのボールがなんなのかを知るのは重要です。食べること、子どもや動物の世話をすること、薬を飲むこと、メンタルヘルスに取り組むことのすべてが、ガラスのボールです。これを落とすことは壊滅的な結果を残すこととなり、すべてのボールを落としかねません。
リサイクル、菜食主義、地元での買い物。これらはプラスチックのボールです。重要ですが、落としたとしても、ガラスのボールがそうなるように、あなたの人生が粉々になることはありません。プラスチックのボールは床に落ちて、そこから動きませんから、あとで拾い上げることができます。ガラスのボールだと、そうはいきません。
文字通りの説明をしてみましょう。やりたいことをすべてできないのなら、機能するためにどのケアタスクが必要なのかを知り、そしてもっとやることができる状態になったときのために優先順位をつけておきます。