忌引きの1週間で感じたショック
父親が81歳で亡くなると、石黒士郎さん(40代・既婚)は悲しみに暮れる間もなく、葬儀や親族とのやり取り、役所の手続き、お墓探し、生命保険手続きなどに追われた。石黒さんは、妻(40代)と2人で相談し合いながら、少しずつ進めていくことに。
これまで、数カ月に1度は日帰りで妻と共に実家を訪れていた石黒さんだったが、忌引の1週間、夫婦で実家に滞在した石黒さんは、87歳になっていた母親と生活を共にすることで、想像以上に母親の衰えが著しかったことにショックを受ける。
母親は、父親が生きていた頃は、「いつもお父さんが買い物についてきて嫌だ。ゆっくり買物ができねえ」と言っていたが、父親は「ついていかないと危なっかしくて」と言っていた。
そんな父親の言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。最初に石黒さんが気付いたのは、母親が、家の鍵を開け締めすることができなくなっていたことだった。母親が鍵を開け締めしようとすると、まず鍵穴に鍵を入れることができない。運良く鍵が入ったとしても、鍵を回すことができない。
石黒さんは愕然とした。
「外出好きで、歩行しないと足が悪くなると刷り込まれている母にとって、致命的とも言える事実でした。母は、あっけらかんとしているので、『となりに戸締りを頼むからいいだ〜』と言っていましたが、これは、父親の手続きどころではない。『まずは、母の生活のことを考えなくては!』と、今後の方向を明確にした瞬間でした」
石黒さんによれば、若い頃の父親は、母親が姉さん女房ということもあり、母親に甘え、負担をかけていた。それは、おそらく父親自身にも自覚があったようで、定年退職後は、母親のフォローをよくするようになった。
しかし、父親が母親を心配して世話を焼くと、母親はそれを疎ましく思ってしまう構図が出来上がってしまい、石黒さんがたまに実家に帰ると、両親はお互いの愚痴をこぼし、それを聞かされていた。
その愚痴が、父親の晩年は、母親の認知症に関することに変化。「最近、母さんがボケてきちゃってよ~、変なことを言うようになったんだ」「こないだは食べきれないくらいラーメン作っちゃって困ってよ~」などと言っていたが、石黒さんは、「年だから当たり前だよ。お互いストレスをためないようにね……」と聞き流し、深刻には捉えていなかった。しかし、ようやく父親が言っていた意味が分かる。
忌引きで実家に滞在した1週間、母親は、毎日のようにこんなことを口走っていたのだ。
「お父さんの友達が、夜中になると何人も来るんだよ。『がんばるぞ〜、お〜!』なんて言ってるんだよ。『オレ(母自身)は来てること、知ってんだぞ』って言ったら、お父さんは、『誰も来てね〜』って、怒るんだ〜。それで(幻の来客に)お茶を出してやったら、ベランダから帰っちゃうんだよ~」
最初にこれを聞いたとき、石黒さん夫婦は、「そんなわけないでしょ」と笑い飛ばしたが、「どうやら母親は真剣なようだ」と気付いてからは否定せずに、できるだけ“幻の来客”の話にならないように、話題をそらすように心がけた。