老両親が健在であることの危険性
ケアマネAさんからの提案を受けて、石黒さんは母親に訊ねる。
「お母さん、食事が出て、お風呂とかにも入れるところに泊まる気ある? 1週間とか、10日とか」。すると母親は、「いいよ。オラ、そういうの好きだもん」とニコニコ。
石黒さんは、自分たち夫婦と旅行すると勘違いしているかもしれないと思い、「俺たちも一緒に泊まるんじゃないよ。お母さんだけが、ご飯が出てお風呂もあるところに泊まるの。どう? 泊まる気ある?」と確認。すると母親は、若干テンションは下がったが、「行ってみっか」と快諾してくれた。
母親とは、「途中で必ず面会に行くこと」「嫌になったら帰ってきても良い(迎えに行く)こと」を約束。母親をショートステイに預けている間、石黒さんは、「ショートステイ終了後は、要介護と認定される」という前提で、別のケアマネ事業者探しも同時並行して行った。
結果、母親のショートステイ利用は、父親を亡くしたショックをやわらげ、母親自身が前向きになるきっかけになったようだ。ショートステイから帰ってきた母親は、食事を3食食べられるようになっていた。
それだけでなく、若い職員さんたちに囲まれて、母親は元気をもらったようで、「みんな、偉えよなぁ〜。オラ、あんなことできねぇ」と言っており、石黒さんには、「オラも落ち込んでばかりいられねぇなぁ」という母親の心の声が聞こえた気がした。
そして、待ちに待った認定調査の結果は、要介護1だった。しかし、認定調査を受けた日以降もどんどん状況は変化している。つい最近では電気調理器でできていた料理もできなくなり、トイレの失敗も頻繁に。室内では伝い歩きで、一度座ると立ち上がるのもやっと。入浴も、「自分で入っている」と言うが、入っている形跡はない。
そんな中、新しいケアマネジャーが決定した。新しいケアマネZさんは、事業所トップの初老の男性だった。石黒さんは、ケアマネZさんにヘルパーBさんのことを伝え、変更を依頼。新しく決まったヘルパー2人は、幸いなことに、気遣いのできるとても良いヘルパーさんだった。
「ショートステイを利用し、環境を変えたことが、母の生きる気力を取り戻すきっかけになりました。父が他界してから、家族だけで話しても、どうしても暗くなりがちなので、良いヘルパーさんに来てもらって、会話を増やせたこと。そして、デイサービスに通う中で、新しい同世代の友達を作り、新しい情報に触れたことが、母が明るさを取り戻せた要因だと思います」
福祉業界に身を置く石黒さんは、「大切なのは、適切に介護保険サービスを利用することで、家族も要介護者も、とにかく、明るく元気でいること」と話す。
最近、排便の失敗が増えてきた母親は、生きることに対して、悲観的な言葉を口にするようになっていった。だからこそ排便失敗後の母親のケアをする際、石黒さんはとにかく母親を笑わせることを心がけた。
「私に嫌がられていると思ってしまったら、なお落ち込むでしょうから……。妻からは、オムツ替えの時の私たち母息子のやり取りがとても楽しそうで、『仲間に入りたいくらい』と言われたほどです。本当にこれは功を奏して、排便の失敗に対する母親の罪悪感みたいなものは、かなり軽減したと思います」
しかし、石黒さん夫妻のいない平日は、母親はヘルパーさんに気を使うのか、排便に失敗した後、自分で片付けようとして余計に汚してしまったり、夜間にパニックになり、「お父さんが! お父さんが!」と言って裸足のまま隣の家に行ってしまったことも。困った隣人は、石黒さんに連絡し、すぐに駆けつけられない石黒さんは、ケアマネZさんに対応をお願いしたこともあった。
2021年9月。87歳の母親は、ケアマネZさんのアドバイスで3回目の介護認定を受けたところ、翌月に要介護3と認定。
「同居については、今のところは全く考えておらず、話し合ってもいません。母のことはとても好きですが、同居するより、特別養護老人ホームに入所して、定期的に面会に行く方が良いかなぁと考えています。私自身、特養で働いていたことがあるので、イメージが湧いているということもあります。介護は技術うんぬんより、メンタルが一番大事です。要介護者・介護者ともに、明るく楽しくいられることが大切だと思います」
今回の取材で、老両親が2人そろって健在であることの危険性について考えさせられた。子どもが離れて暮らしていて、両親のどちらかが亡くなり片親になれば、心配でちょくちょく連絡を取ったり顔を出したりする子どもは多い。
だが、両親健在だと、夫婦2人で補い合い、少しでも元気な方がフォローをするため、状況が見えづらく、子どもはそこまで深刻に捉えられないため、老老介護を放置しがちだ。これを読んで不安に思った人は、次の年末年始休みは、実家に1週間ほど滞在してみると良いかもしれない。