薬と食事とトイレの問題

生前、父親からは、「母親の認知症の進行」「転んだら1人では立ち上がることができない」などの話が出ていたものの、石黒さんは母親の介護の必要性がどこまであるのかは理解しておらず、母親のフォローは父親に任せきりだった。ただ、両親がストレスをためていることだけはわかっていたため、たまに実家に帰った時は、2人の話に耳を傾け、ストレスを軽減させることに努めていた。

「私自身は、母はもう80後半だったので、認知症は仕方ないことかなぁと思っていました。転倒については、骨粗しょう症で腰が曲がり、両ひざには人工関節が入っていましたから、随分前から、転んだら立ち上がるのは大変だろうなぁと思っていました」

母親は70歳ごろに変形性膝関節症を発症。その際に人工関節を入れていたのだ。

また、忌引の1週間で石黒さんは、母親が大量の薬を飲んでいたことを知る。その数、1日あたり30錠。内科と整形外科に通っていた母親は、朝、夕に13錠ずつ飲み、そのほかに昼も寝る前も処方されていたが、これらはすべて、父親が生きていた頃は父親が管理していた。

石黒さんが「代わろうか?」と言っても、几帳面な性格の父親は、石黒さんに触れられるとかえって混乱するようで、「できるから大丈夫だ」と言って譲らなかった。すでに父親によって朝、昼、夕、寝る前に仕分けされていた母親の薬を確認してみると、いくつか仕分けミスがあった。しかも母親本人は、朝の薬だか昼の薬だか、何だかよく分からずに飲んでいる状態。母親は、右手に痺れがあるため、袋からは飲めず、父親が何日分もカップにセットしたものを順番に飲んでいた。

当面の間は石黒さんが仕分けをし、母親に飲んでもらうしかなかったが、その後は母親がかかっていた病院と調整して、数週間で一包化することができた。

その後、訪問診療に携わる薬を減らす方針の医師と出会い、この医師に一本化することで、30錠飲んでいた薬を5錠にまで減らすことに成功。そして、長年お世話になっていた整形外科や内科には事情を話し、時間をかけて訪問診療の診療所への引き継ぎを行った。

しかし、母親が独居で生活するための課題は、服薬の問題だけではなかった。

母親は好き嫌いが多く、肉類、キノコ類は一切食べない。野菜は国産しか食べない。魚も限られた種類しか食べない。油を使った料理、カレー味の料理はほとんど食べない。石黒さんが把握している母親の好きな物と言えば、国産野菜の煮物と漬物くらいだった。

数日間で見る限り、ガスを使った調理に不安を感じた石黒さんは、電気調理器具の手配をし、レンジで温めて食べるご飯と味噌漬けをまとめ買いして、しばらくの食料を確保した。

そして、トイレの問題もあった。

石黒さんは、数年前から母親が尿取りパッドを使用していることは分かっていた。

「母はいろいろ工夫する人なので、完璧ではないまでも、それなりに活用し、それなりにできているものと信じていました。でも、忌引きの期間に気づきましたが、尿取りパッドがビチャビチャになっても替えていない。常にトイレを気にしていて、頻繁にトイレに行くのに、ズボンまで濡れていることもありました」

石黒さんは、「尿意は把握できているが、間に合わないのか?」「尿意があるか否かも怪しいのか?」を母親に聞いて確かめようとするが、母親の返事が要領を得ず、判断がつかない。さらに、使用済みパッドを入れたゴミ袋には、コバエが群がっていた。

石黒さんはすぐにドラッグストアに行き、リハビリパンツと尿取りパッドを購入。その流れでホームセンターに行き、オムツ専用ゴミ箱と専用のゴミ袋を買ってきた。帰宅後、母親にリハビリパンツとパッドの使い方をレクチャーしたが、正しく使用できるようになるには、1週間では足りなかった。

介護用パンツを広げてみるシニア女性
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