野田佳彦元首相による安倍晋三元首相の追悼演説が称賛されている。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「野田氏の演説は安倍氏から続いた『分断の政治』を終わらせるものだった。立憲民主党は野田氏を第一線から外しているが、『世代交代』ばかりを打ち出す野党の手法は見直すべきだ」という――。
衆院本会議で安倍晋三元首相への追悼演説をする立憲民主党の野田佳彦元首相=2022年10月25日午後、国会内
写真=時事通信フォト
衆院本会議で安倍晋三元首相への追悼演説をする立憲民主党の野田佳彦元首相=2022年10月25日午後、国会内

自らを「どじょう」と称した野田元首相とは何者か

立場の異なる人々の思いを包摂し得る言葉が、ようやく国会に帰ってきた。立憲民主党の野田佳彦元首相が10月25日、衆院本会議で行った安倍晋三元首相への追悼演説。安倍氏を強く支持してきた層からも、強く批判してきた層からも、大きな共感の声が寄せられている。どちらかと言えば後者の立場である筆者も、あの演説には心を揺さぶられた。

追悼演説によって光が当たった野田氏の人物像と、あの演説がもたらしたものについて、少し考えてみたい。

野田氏は民主党政権3人目にして最後の首相であるが、前任の鳩山由紀夫、菅直人両氏のように早くから注目され、ある意味華のあった政治家とはやや異なる。民主党政権全体が行き詰まるなか、あえて火中の栗を拾った野田氏は、自らを「どじょう」になぞらえて「泥臭くとも粘り強く、国民のために汗をかく」と語った。税と社会保障の一体改革では、当時の谷垣禎一自民党総裁らと会合を重ね、いわゆる「3党合意」にこぎ着けた。

消費増税を含む3党合意の評価は人それぞれかもしれないが、野田氏には、対立する自民党などとも合意を結べる胆力が確かにあった。政治の表舞台に出たのが2002年、政権獲得前の民主党の菅代表時代における国対委員長への抜擢であり、以後国対畑で対立政党との折衝を学び、積み上げた経験が生きたのかもしれない。

現在は菅氏と共に立憲民主党の最高顧問を務めている。最高顧問は党内のいわゆる「上がりポスト」であって、第一線からは退いている印象が強い。

それでありながら、野田氏は首相退任後の今もなお、地元の千葉県で毎日のように街頭演説をしている。演説の巧みさに関して、党内で右に出る者はいない。だから実は、今回の追悼演説をめぐっても「野田氏ならできるのではないか」という声は早くから聞かれていた。

そんな野田氏の追悼演説で強く印象に残っている場面がある。