1920年代の株式投資ブームと世界恐慌
今でこそ大きな存在感を持っている機関投資家は、マルクスが生きていた19世紀や、世界恐慌が起きた1929年には、全くと言っていいほど存在感がなかった。そもそも幅広い国民が加盟する公的年金基金や終身型生命保険がまだなかったからだ。企業年金基金に至っては、20世紀に入ってから企業の自主的な整備が始まったが、ほとんど浸透していない状況だった。
また、一般的な投資信託の仕組みは18世紀からあったが、個人投資家向けに投資信託の仕組みが普及し始めたのは、1929年の株式大暴落の前夜にあたる1920年代。ちょうど個人投資家が株式投資ブームに乗っかっていったタイミングに該当する。
アメリカでは、ボストンに本社をおくMFSインベストメントやステート・ストリート、ウェリントンが、初のオープンエンド型投資信託の販売を開始。ドイツでも、エコノミストのヘルマン・ツィッカート博士が1923年に投資事業組合の仕組みを開発し、フランスでも投資信託の原型の商品が1920年代に登場している。
しかし、世界恐慌の打撃を受け、金融市場の中心になっていたアメリカでは、企業の有価証券発行が激減。多くの証券会社が倒産し、金融市場全体が大きく冷え込んだ(*7)。
GMが株式投資による企業年金制度を提案
証券市場は大きく信用を失墜。再建するためのテコ入れ策として、ようやくアメリカ政府が法規制を導入し、1933年に銀行法と証券法、1934年に証券取引所法、1935年に公益事業持株会社法、1939年に信託証書法、1940年に投資会社法と投資顧問法が制定された(*8)。
しかし、それでも第二次世界大戦までは、個人向けの投資商品というのは完全には開花しなかった。
だが、戦後に状況は一変する。その転機を作ったのは、アメリカの自動車大手GM(ゼネラルモーターズ)だったと言われている。当時GM社長だったチャールズ・ウィルソンは、全米自動車労組(UAW)に企業年金基金の創設を提案。しかもその提案内容が斬新だった。
以前からあった企業年金制度では、生命保険会社を通して債券投資で運用することが一般的だった。しかしウィルソンは、今後飛躍的に年金支払額が拡大することを見越し、債券投資ではなく株式投資での運用スタイルを主張した。これが1950年代にアメリカで企業年金制度が普及していく嚆矢となった(*9)。
(*7、8)佐藤卓雄(2016)“証券市場の歴史”『図説アメリカの証券市場2016年版』日本証券経済研究所
(*9)小野正昭“米国の確定給付年金の課題〜健全性の観点から〜”第5回年金積立金運用フォーラム資料