「普通がいちばん」の日本は生きづらい

平均的な能力の子の場合は、授業の速度ややり方がちょうどよく能力に見合う可能性が高いので困ることはないだろうが、そのレベルに達していない子はそうはいかない。

教師の話はちんぷんかんぷんで、ますます落ちこぼれてしまうのは目に見えている。

だからといって落ちこぼれそうな子のほうにレベルを合わせてしまえば、平均的なレベルの子どもたちが時間を持て余すことになるので、それはそれで具合が悪いということになる。

日本の公教育は平均的な者にもっとも手厚く、平均的な者がいちばん得をするようにできているのだ。

本当だったら習熟度別にクラスを編成するほうが合理的だし、結果的には公平なのだけれど、そうやって序列をつけるようなことをすると、いじめとか別の問題が生じてくる。

普通がいちばんという感性が子どもにまで浸透している日本では、平均的とされるレベルから少しでも下だという烙印らくいんを押されると、一気に生きづらくなってしまうのだ。

教師やらの力を借りようとする。その結果、下のクラスにカテゴライズされるのは、塾や家庭教師に頼る金銭的余裕がない家の子たちばかりということになりかねない。

そうなると子どもたちは早々に学校という名の「格差社会」を生きることになってしまうから、やはりこれもいい方法とは言い難い。

IQの6~7割は遺伝

そもそも学力面で格差が生じてしまう理由は、教えるレベルうんぬんの問題以前に、なんでもかんでも一律に教えようとするせいだと思う。

得意なことだけでなく、不得意なことまで勉強しなければならないとなると、余力が相当ある子でなければついていけない。

IQの6~7割は遺伝で決まる
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IQの6~7割は遺伝で決まる ※写真はイメージです

全員に平等に教えるのは、法律とか税制とかカラダのこととか、生きていくのに最低限必要な基本的なことだけにして、あとはそれぞれ自分の好きなことを学ばせるほうがずっといいと思う。

人間というのはもって生まれた自分のキャパシティを超えて活動することはできないし、キャパシティの一つであるIQ(知能指数)は、遺伝的に6~7割が決まっているとされる。