1998年、千葉大学は全国初となる「飛び入学」を実施した。合格した3人は「17歳の大学生」となり、研究者としての将来を嘱望されていた。その後、どんな人生を歩んだのか。読売新聞の人物企画「あれから」をまとめた書籍『人生はそれでも続く』(新潮新書)より、佐藤和俊さんのケースを紹介する――。
トレーラー運転手として街を駆ける佐藤さん
写真提供=読売新聞社
トレーラー運転手として街を駆ける佐藤さん

千葉大学が全国で初めて導入した「飛び入学制度」

1998年1月、佐藤和俊さんの人生は、一変した。

「飛び入学 3人合格」

当時、高校2年生だった佐藤さんには、新聞の見出しが面はゆかった。

「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。「高校に2年以上在籍した特に優れた資質を持つ17歳以上の生徒」に大学の入学資格を認めるもので、中央教育審議会がこの前年6月に制度化を答申していた。

合格者3人のうちの1人に選ばれた佐藤さんは、17歳の春、「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐった。

あれから22年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手となって、夜明けの街を疾走している。

普通の入試では、千葉大に合格できそうにない

あれは高校2年の、夏の朝のこと。私立成田高校(千葉県)の担任教師が、「千葉大学が『飛び入学』を始めるそうだ。誰か挑戦してみないか」と教室で呼びかけた。

「これは、やるしかないな」。佐藤さんはすぐに思った。

中学の時、「いま見えている星は、もう存在していない可能性がある」と授業で聞いてびっくりした。

光は一定の速さで動いていて、伝わるのに時間がかかる。だから宇宙で光っているように見える星も、何百年、何千年かけて光が地球に届く間に、星自体が消滅しているかもしれないというのだ。

「光に速さがあるなんて!」

それまでは野球部の練習でくたくたに疲れて家に帰って、すぐ寝ていた。でも、辞典で一つの用語を調べると、そこにある別の用語の意味を知りたくなる。知りたい世界がどんどん広がった。物理を理解するために、数学にものめり込んだ。

高校の化学部時代の佐藤さん
高校の化学部時代の佐藤さん

ただ一つ、問題があった。

物理と数学には自信があったが、国語や社会では赤点を取ることもしばしば。両親からは「進学するなら地元国立大の千葉大に」と言われていたが、すべての科目で高得点が求められる普通の入試は、自分は突破できそうにない。

高卒で就職かも……。そんな考えも頭をよぎっていた頃、〈物理のスペシャリスト〉を求める飛び入学のチャンスが、飛び込んできた。