「型にはまった一流」を目指してはならない

ただし、そのようなキャパシティをどこまで具現化できるかはあくまでも本人次第なのである。

たとえ生来のキャパシティ自体は小さくても、その大半を具現化させることができれば、大きなキャパシティを生かしきれてない人より、相対的に高い能力が発揮できるというわけだ。

例えば超難関校として知られる東京の筑波大学附属駒場中・高等学校(筑駒)は卒業生の半分以上が東大に入る。

しかし、この学校に入ることが万人にとってのベストでは決してない。

必死に勉強してなんとか合格できたとしても、周りは秀才だらけなのだから、もともと勉強の才能がない場合はどんどん置いていかれて、かえって不幸になることもあると私は思う。

成長するにつれどうやら自分は机上の秀才ではないなと感じるようなら、例えば研究者を目指すとしても机に向かう勉強のほうはほどほどにして、実験したり、フィールドで調査をする感性を伸ばすほうが絶対にいい。

机上の勉強よりフィールド調査で才能を発揮することも
写真=iStock.com/Wildroze
机上の勉強よりフィールド調査で才能を発揮することも ※写真はイメージです

受験に役立つ才能は、あらかじめ決まっている正解になるべく早く到達する能力だが、実験やフィールド調査で発揮される才能は試行錯誤しながら正解を探す能力なので、まったく質が違うのだ。

本当に大事なのは、型にはまった一流を目指すことではなく、自分が得意なことを見つけて、そこをうまく伸ばしていくことだと思う。

そうやって、自分自身の能力を最大限に生かすことができれば、生まれながらの不平等にだってうまく折り合いをつけられるだろう。

何よりそれが人生を楽しく前向きに生きるコツなのである。