なぜ人は自殺してしまうのか。ジャーナリストの渋井哲也さんは「自殺してしまう人たちには共通点がある。私が取材した当事者たちはほとんどが自傷行為や自殺未遂を繰り返していた。『死にたいと言っている人は自殺しない』とよく言われるが、これは迷信だ」という――。(第1回)

※本稿は、渋井哲也『ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか』(河出新書)の一部を再編集したものです。

暗い部屋で途方に暮れた男
写真=iStock.com/kuppa_rock
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周囲で死亡事故や自殺が起きていた少年時代

私がなぜ「自殺」に関心を持ち、取材テーマとして選んだのか。

自宅前は大きな街道が交差していて、子どもの頃は、ひっきりなしに大型車が通行していた。夜間になると、交通量が減るためにスピードを出したまま運転するため、単独の交通事故がよく発生した。交通死亡事故は1955年から64年にかけて、高水準になっていた。

59年には死者数は1万人を突破し、「交通戦争」と呼ばれたが、歩道や信号機が整備され、以降死者数は減少した(※1)。ただ、71年以降、再び、死者数が増加に転じ、80年には死者数は1万人を超えて、「第二次交通戦争」と呼ばれた(※1)。こうした時期に私は育ち、死亡事故を見ていた。

さらに、その交差点から南に行くと、橋があった。那須町と黒磯市(現・那須塩原市)を結ぶ橋で、那珂川にかけられている。橋はアーチ型(長さが127.8メートル、幅は8.7メートル、水面からの高さが23メートル)。2002年には栃木県で初めて、土木学会の選奨土木遺産に選ばれたが(※2)、自殺の名所となっていた。

小学生の頃だったと思うが、身近な人もこの交差点で事故に遭い、その家族がうつ状態になったのか、この橋から飛び降り自殺。さらに、その家族が後追い自殺をした。2010年、女子中学生がこの橋から飛び降り自殺した。当時、亡くなった女子中学生がいじめについて家人に伝えていたことで、それが原因ではないかとの話があった。彼女は部活の途中でいなくなったことがわかったが、学校は保護者に伝えていなかった。

また、一時はいじめを認めていたが、記者会見では「いじめはない」と教頭は言った。しかし、日付のない遺書があり、友人関係のトラブルがあったことが記されていた。

(※1)警察庁「交通事故発生状況の推移」
(※2)晩翠橋「とちぎ旅ネット