7月の参院選で、立憲民主党は議席を減らし、敗北を喫した。その原因はどこにあったのか。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「世間の批判にあおられて『提案型野党』に無理に舵を切り、与党との違いが不明瞭になった。批判を通じて与党との違いを明確に示すのが野党の役割のはずだ」という――。
概念的な劇的な空の上に空のフォークされた道路
写真=iStock.com/imagedepotpro
※写真はイメージです

立憲の執行部刷新が関心を引かないのは良いこと

7月の参院選で敗北を喫した立憲民主党。続投を表明した泉健太代表は、10日に出された参院選の総括を踏まえ、近く新執行部の人事を行う見通しだが、ほとんど世論の関心を引いていない。

良いことだ、と筆者は思う。民主党の政権転落以降のこの10年、大きな選挙で負けるたびに「解党的出直し」と騒ぎ立てては、外野の声に振り回されて代表選や執行部人事に明け暮れ、党内の「バラバラ感」を露呈して国民の信頼を失うという「野党お決まりの姿」にうんざりしてきた者としては、良い意味で動揺の少ない党の現状が、むしろ清々しい。

だからと言って立憲にとって、参院選が大きな敗北だったことに論評の余地はない。良くも悪くも永田町が静かな今のうちに、筆者としても立憲の参院選を総括しておきたい。

「提案型野党」は国民民主党が既に失敗している

参院選における立憲の最大の敗因は「昨秋の衆院選の評価を誤った」ことだと、筆者は考えている。「決して負けてはいなかった」選挙結果を「惨敗」と思い込んだ立憲は、あふれるほどの「野党は批判ばかり」批判にあおられ「提案型野党」という無用の路線見直しにひた走った。

しかし「提案型野党」は、立憲への合流を拒んだ国民民主党が打ち出し、すでに失敗が見えている路線だ。

「提案型野党」というと何か新しい概念のように聞こえるが、要は20年以上も前から「是々非々」路線と呼ばれてきたものだ。二大政党のどちらにもくみしない「第三極」政党が、何度となくこの言葉を掲げて誕生しては、やがて「与党寄りか野党寄りか」で党内対立を起こして分裂し、消えていった。国民民主党自身、3年前の前回参院選のころは立憲と野党第1党を争う存在だったのに、気が付けば泉代表を含む多くの議員が立憲に流れ、今や党単体で野党の中核となるのはほぼ不可能になっている。

「提案型野党」にせよ「是々非々」路線にせよ、参院選で6議席を獲得する程度の支持なら得られるかもしれないが、衆院で二大政治勢力を志向する小選挙区制を導入している日本で、その旗印を掲げて政権を争う政党になるのは、どだい無理な話である。

そんな先細りの路線に「色目を使った」ことによって、立憲はコアな支持者の信頼を低下させたばかりか、自公政権に対峙たいじできる野党を求めた非自民系無党派層の大量離反も招いた。

立憲は衆院選の総括を誤った結果、参院選で「本当に負けてしまった」のだ。