社会のまなざしが人間を狂わせる

なんとも解せない話ではあるが、私たちの言動の多くは、社会のまなざしという得体の知れない空気に操られている。自分の能力だと信じているものでさえ、他者が深く関係しているのだ。

しかも、“まなざし”は実に厄介な代物で、「自分をほかの奴らと一緒にするな! ステレオタイプが間違いであることを証明してやる」と過剰に意気込むと、かえって能力をうまく発揮できなくなる。

とりわけ、孤軍奮闘を余儀なくされる状況下では、視野狭窄きょうさくに陥り、ストレスが蓄積され、心身ともに疲弊し、望ましい結果が出せず、ネガティブスパイラルに入り込んでしまいがちだ。

まなざしの圧は、私たちが想像する以上に強い。「働かないおじさん」という一見、ソフトな言葉の裏側には他者の心を傷つける“刃”が内在しているのだ。

「地獄とは他人」と説いた哲学者のサルトルは、“社会のまなざし”をregardと名づけ、権力関係を含む概念を展開した。つまり、まなざし=regardとは明らかな権力であり、優位に立つ者が、劣位な者に対し「あなたは私より下だ!」とみなす悪質なメッセージといえよう。

「半径3メートル世界」を取り戻す

冒頭の白木さんは、1人でがんばりすぎた。彼が争っていたのは、会社ではなく、社会の“まなざし”だったのではないだろうか。

つながった人型の紙
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「会社の言いなりになってたまるか」と、怒りを前に進むエネルギーに転換する前に、私の言うところの「半径3メートル世界」を充実させることから始めればよかった。

「会社」という主語で「私」を語るのではなく、「半径3メートル世界」の「私」として主体的に動くことは、「社会のまなざし」への最良の対処になる。

若い世代には、「仕事に役立つ情報」を惜しみなく伝えればいい。同世代でくすぶっているおじさん社員とは、50代の生きづらさについて語り合うだけでもいい。

「ちょっといい?」と声をかけられる距離(=半径3メートル世界)の人間関係を充実させれば、他者は白木さんにまなざしを注ぐ存在から、白木さんに「傘を差し出してくれる」存在に変わっていく。