「憎悪碑」は「慰霊碑」に変わりつつある

この年(2014年6月)に会ったマンさんも例外ではない。私は、フーイエン省の取材で近くに行けば、必ずマンさん宅を訪問した。そして、マンさん宅を訪問するたびに、そばにあるヴンタウ集落の石碑の「変化」を目にすることになった。

戦後まもなくに建立された石碑は、2016年8月、碑の上部に「憎悪碑」と書かれたまま色が白く塗り替えられた。さらに2017年10月、碑はその形状を変え、「慰霊碑」と書き改められて犠牲者80名の名前が刻まれた(※7)。「慰霊碑」となった後の2018年2月、ヴンタウ集落を取材したとき、かつて『フーイエン新聞』のビン編集長が語った言葉を思い出した。

「1992年の越韓国交回復後、両国の関係は次第に良くなっています。現在、ベトナム政府は過去を忘れるために、韓国軍による民間人殺害事件があったとされる村の『憎悪碑』を『慰霊碑』に変えていこうとしています」

石碑からは“憎悪”の文字が消えたとしても、事件を経験した被害者たちの心から消えることはないだろう。

(※7)ヴンタウ集落の石碑及びマンさん宅への筆者の訪問年月日は、2014年6月、2016年9月、2017年3月、2018年2月。

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