アメリカ人は「自分たちに戦略がない」と自覚している
【桜林】その時の正義感や気持ちに突き動かされてしまうようなところがあるんですね。
【小野田(空)】ちょっと嫌味な言い方になってしまいますが、アメリカ人ほど、「ストラテジー(戦略)」という言葉をよく使う人たちはいません。それはアメリカが「自分たちに戦略がない」ということをよく自覚しているからだと思います。
今回のウクライナ侵攻との関連でも「バイデン政権の戦略は間違いだ」、「バイデン政権には台湾防衛の戦略がない」といったことを、様々な識者が発言していました。しかし、むやみやたらに「戦略」と言いながら、本当にその意味をわかって使っているのかな、という感じがしますよね。
【小川(陸)】陸軍に関して言うと、南北戦争(1861~1865年)時代までの米陸軍は、ジョミニ(アントワーヌ゠アンリ・ジョミニ:スイス出身の軍人、軍事学者。フランス第一帝政、のちにロシア帝国に仕えナポレオン戦争に参加。1838年の著書『戦争概論』で知られる)の本をみんなこぞってポケットに入れて、ジョミニを参考にして戦っていました。ベトナム戦争が終わった頃からは、クラウゼヴィッツを学ぼうとする米陸軍の姿勢が鮮明となりその教えの影響が大きくなっていきました。
国家が何を得るためか、から組み上げるのが「作戦術」
ジョミニの本はどちらかと言えば「How to Win」、すごくざっくり表現すると戦争のノウハウ本に近いものです。
それに対してクラウゼヴィッツは、「そもそも戦争とは何か」という本質的な考察から始まっていますから、勝てば良いというよりも、戦争とは何かをしっかりと理解することが先決です。その上で、現代風に言い換えれば、戦争をするとすれば国家として何を得るために行うのかとの政戦略を確立して、軍事戦略、作戦術、戦術を体系的に組み上げて戦うべきであるとの主張(クラウゼヴィッツは「作戦術」という用語を使用していないものの、現在の米を中心とする研究者の間では『戦争論』で述べている「戦略」のほとんどは現在の「作戦術」の概念に相当すると評価)だと思います。
しかし、ある英語の本(『CLAUSEWITZ IN ENGLISH』1994 by Oxford University Press, Inc)には、「クラウゼヴィッツが英語に翻訳されたのが南北戦争後の1870年代以降であり、(『戦争論』の研究で知られるアメリカの歴史学者ピーター・パレットにより)米国で広く行き渡り始めたのが1965年だった」という記述がありました。その結果、アメリカには伝統的にも消耗戦に向かってしまう、勝ちに行ってしまう、という“癖”のようなものがどこか残っているような気がします。