新疆ウイグル自治区や香港など国際社会で横暴な振る舞いを繰り返す中国に対し、なぜ日本は強気になりきれないのか。その理由は、過去にアメリカ高官が2度にわたって極秘訪中したことにある。北海道大学大学院の城山英巳教授の著書『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)より一部を紹介しよう――。
中国と日本
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海部元首相の前で漫画を描いていたアメリカ国務副長官

学生や市民の民主化運動が武力弾圧された天安門事件から半年が経過した1989年12月。

7月に極秘で鄧小平に会ったスコウクロフト米大統領補佐官が東京へ来るので、同月10日(日曜日)に海部俊樹首相に会いたいと、米国大使館から事前に、外務省に電話があった。外務省では「総理に日曜日に時間を空けろ、なんて失礼な話だ」として週明けにしてもらいたいと伝えたが、「どうしても会いたい」と譲らなかった。

その一方で、スコウクロフトは北京から来ることが分かり、アジア局で対応することになった。結局、海部は米側の要求通り10日夜、スコウクロフト一行と会談し、谷野作太郎アジア局長と阿南惟茂中国課長が同席した。谷野は、「(同行した国務副長官の)イーグルバーガーはけしからん人で、私の前に座って漫画を描いていた」と振り返った(谷野インタビュー)。イーグルバーガーにとって日本など眼中になかったのかもしれない。

極秘訪中をまるで知らされなかった日本は怒り心頭

「7月極秘訪中」が明るみに出たのは、約1週間後の米時間12月18日で、ホワイトハウスも認めた(「読売新聞」12月20日)。

スコウクロフトが実は、7月にも北京に行っていたと報道されると、米国では対中強硬論が渦巻く議会で問題となった。谷野は、12月10日の会談で7月訪中の話が出なかったことから、「僕らは怒り狂ったわけです。米国に抗議しなくてはならんと、北米局から米側に電報を出して釈明を求めた」と回顧した。

米政府は、12月の訪中は「エクスチェンジ(交流)」であったから知らせたが、7月の訪中は「コンタクト(接触)」だったから、知らせる必要はないと弁解した。阿南も谷野に対して「北米局がよく日米同盟なんていうが、所詮こんなことなんですね」と漏らした(谷野インタビュー)。