なぜ中国共産党は一党独裁を続けられているのか。人民解放軍が民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件では、日本政府から厳しい責任追及はなかった。その背後には、当時の宇野宗佑首相をはじめとする親中派の国会議員の圧力があった。北海道大学大学院の城山英巳教授の著書『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)より、一部を紹介しよう――。
日本と中国の握手
写真=iStock.com/Zerbor
※写真はイメージです

所信表明演説で天安門事件に触れなかった宇野首相

「流血」前日、首相に就任した宇野は、事件翌日の1989年6月5日に行われた所信表明演説で中国情勢に言及しなかった。これには批判が集まったが、宇野はなぜ触れなかったのか。

6月7日、所信表明演説に対する各党代表質問があり、宇野は公明党の石田幸四郎に対して中国に邦人8000人がまだいる中で、「慎重な配慮が必要な時点でございましたので、何卒ご理解を願いたい」と述べた。

内戦の危機が伝えられた北京。日本航空と全日空は6日以降、臨時便を出す中で、宇野は社会党の土井たか子委員長の質問にこう答えた。

「やはり飛行機もどんどん出さなくちゃいけません。混乱した地に飛行機をおろすためにはやはり政府は政府としての慎重な態度が必要でございます。どなたを敵にまわしても邦人の救済ができないということになれば、たいへんなことでございます」

中国政府の機嫌を損なえば、邦人脱出の飛行機の運航にも支障が出かねないという懸念である。「だから私はさような意味で過般の所信表明の冒頭においても、このことには敢えて触れなかったわけでございます」と認めた。

しかし中国政府を非難する国内世論が高まっていた。これまで対中配慮を優先した宇野も土井の質問にこう言わざるを得なかった。

「銃口を国民に向けるということは由々しきことであるということを私達は申し上げなければならない。それが私の言う憂慮すべきことである」

宇野首相「日本は戦争で中国国民に迷惑をかけた」

しかし、対中配慮は果たして邦人保護のためだけなのだろうか。宇野は土井にこう、とうとうと述べた。

「まず中国と日本との関係、これは中国とアメリカとの関係とはまったく違う。このことを自覚しなければいけません。なぜならば、われわれはまず中国とはかつて戦争関係にあったという過去を持っております。この過去には十分反省をし、戦争を通じて中国国民に迷惑をかけた」

6月12日の予算委員会では、社会党の川崎寛治衆院議員が、所信表明演説で「流血の惨事」に触れなかったことに関し「外交に人権意識は大変大事」と問いただしたところ宇野は、「やはりお隣のことはよほど慎重でなければならんし、今鳴っている音は、ラジオの音かテレビの音か、それを見分けるくらいの慎重さが必要だということが、まず私の念頭にございます」と答えた。