日本の対中外交には常に「アメリカの頭越し」がある

橋本は米中接近という自身の直感を確信しただろう。ニクソンとキッシンジャーが環境を整え、その約1カ月後の12月にスコウクロフトの2回目の訪中が実現した。

しかし7月中旬の仏アルシュサミットでG7首脳が確認した中国とのハイレベル接触停止に背く密使訪中の発覚が、日本の対中外交を動かしたのだった。

当時の栗山尚一外務事務次官は筆者のインタビューにこう明かした。

「(スコウクロフトの極秘訪中に)日本としては怒り心頭だったが、他方において日本は日本で、早く円借款を凍結解除したいという思惑があった。アメリカがああいうことで割合に柔軟な姿勢を持っていることはある意味で渡りに船で、今度は日本がそれを利用したという面はある」

日本を頭越しにした米国の対中外交があって初めて、日本政府も対中独自外交を展開できたのである。これは、日本を頭越しにした1971年のキッシンジャー極秘訪中にショックを受けた日本政府が、米国より先に対中国交正常化に走ったのと同じ構図だ。

ブッシュは鄧小平や中国共産党と緊密につながっていた

対中円借款再開に向けようやく動き出した1990年3月2日。

海部首相とブッシュ大統領が、米西部カリフォルニア州の保養地パームスプリングスで会談した。夕食会で天安門事件後の中国情勢について意見交換した。限定配布の外交記録総理訪米(夕食会での両首脳の意見交換:中国)」(1990年3月3日)の極秘指定が解除され、2021年12月22日に公開された。

ブッシュ「中国とのコンタクトを維持しつつ、中国の変革を促していくべきというのが、引き続き自分の基本政策であるが、対中関係の先行きを心配している。中国の人権状況が改善されることを希望(する)」
海部「我が国は、中国の孤立化回避のためにも米中関係を含む中国と西側諸国との関係改善を望んでおり、そのために中国から積極的なメッセージが出されることが必要と考えており、機会をとらえてこの旨を中国側にも伝えている。対中新規円借款は、残念ながら未だ進め得ない状況である」

「コンタクトを通じて中国の変革を促す」というブッシュの対中アプローチは、日本のチャイナスクール外交官のそれと同じだった。ブッシュが鄧小平や共産党指導部と緊密につながっているという状況は、海部との会談記録にも表れている。ブッシュは海部にこう明かしている。

「(ルーマニアの)チャウシェスク政権の崩壊(89年末)以前に鄧小平から受け取った一、二の内々の連絡から、中国が人権に関する規制を緩和するとの心証を得ていたが、チャウシェスク政権の崩壊が中国の政策に大きな影響を与えた」
「自分は、鄧小平を気に入っている(like)」
「李鵬(総理)は強硬派であるが、江沢民(党総書記)は現実的であり、後者とは、いずれ上手くやっていけるような気がする。(民主化要求の学生に理解を示し失脚した前総書記の)趙紫陽も党籍を剥奪されてはおらず、そのうちに中国に穏健な政権が成立するかもしれない」