家族の形

小6の頃から黒島さんは、担任の先生や友だちから、「悪口や暴力で嫌われているよ。直したほうがいい」と厳しく言われるようになり、「大嫌いな母親と同じことをしている!」と気付かされ、愕然とする。

「母親や兄がそうしていたように、当時の私は、『気に入らないことがあれば怒る』『他人を思い通りにしたければ暴力を振るう』『悪口陰口は立派なコミュニケーション』と思い込んでいました。『自分の家がおかしいのでは?』と気付いた時は、苦しみよりも、『私の感じていた違和感は間違いではなかったんだ!』と確信したうれしさが勝りました。しかし、自分もそのおかしい家に染まっていたこと自体はとてもショックでした」

そんな頃、中学に入学した黒島さんは、親子3人でスポーツクラブに入会。そこで知り合った家族との交流が、黒島さんの人生を大きく変えた。

「その一家のお母さんは、ご主人と死別し、肉体労働をしながら女手ひとつで娘2人を育てていました。しかし母は、親のすねをかじっている身でありながら、その女性のことを遠回しに“汚れ仕事の貧乏人”だと言いました。その瞬間、それまで私にとって恐怖の対象だった母が完全に軽蔑の対象に変わりました」

その女性は、多忙ながらもとても明るくユーモアがあり、娘たちと友だちのような関係を築いていた。時折、娘たちを叱る様子を見かけたが、黒島さんの母親のように、怒鳴りつけたり手が出たりしたことは一度もなく、毎回根気強く言い聞かせて解決する光景に、黒島さんは、「こんな家族の形があるんだ」と衝撃を受け、世界が明るくなった気がした。

その女性は、黒島さんや黒島さんの兄に対しても、親しみを持ち、温かく接する。そんな一家と触れ合ううちに、黒島さんは、「自分をリスタートすることができるかも?」と希望を持つことができた。

以降、黒島さんは自分を矯正していく。例えば、箸の持ち方をちゃんと教えてもらったことのなかった黒島さんは、自分の箸遣いがおかしいことに中学に入ってから気付き、見よう見まねで直す努力を始めた。

箸麺
写真=iStock.com/enterphoto
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また、笑い方に関しても、友だちが可憐にクスクス笑うのを見て、自分が大口を開けてゲラゲラ笑っていることに気付いてから、自分の笑い声を録音し、それを聞きながら直した。小さい頃から頻回なまばたきや鼻をフンフン鳴らす癖があった黒島さんは、奥歯を噛み締めて堪えることで、高校を卒業する頃には直すことに成功。

「とにかく、無意識のガサツな行動や行儀の悪さを親に一切注意されてこなかったので、それらに気づいてからは、人前でリラックスするのが恐ろしくなり、常に緊張して固まっているため、今でも初対面の人には、勘違いされて『お高くとまってる』と陰口を言われてしまいます」

今でこそ明るく話す黒島さんだが、おそらく当時は、たった1人で血のにじむような努力を重ねてきたのだろう。

「もしもスポーツクラブで出会った一家に、『あなたの家って変だね』『あんな母親で可哀想』と言われていたら、自分で自分を“そういう子”にしてしまっていたと思いますが、家族同然に温かく迎え入れてもらえたことで、自分を変えるきっかけになったのだと思います」

わが家のおかしさへの気付きや、スポーツクラブでの出会いを経て黒島さんは、母親を「たまたま産んで育ててくれた女性」と割り切り、「人間だし、そういう日もあるよね」と許す日がある一方、「なぜそういう行動を取るんだろう」と冷静に客観的に分析することもあり、理不尽な目に遭っても絶望することはなくなった。

箸の持ち方はなかなか直せず、25歳で一人暮らしを始めてから、食事のマナー本を読み漁り、両手に箸を持って食事をすると上達が早いと知って実践。全身鏡で自分を見ながら、毎日1時間以上かけて食事をするうちに習得できた。